悲運

own goalご案内のように、なでしこジャパンとイングランドとの女子カナダワールドカップ準決勝は、後半アディショナルタイムに右サイドを破ったMF川澄のラストパスに、FW大儀見に並走していたイングランドのDFローラ・バセットが必死のクリアを試みたが、オウンゴールとなり、なでしこジャパンが2対1で勝利した。

悲運としか言いようがないオウンゴールに泣き崩れるDFのローラ・バゼット、そして、彼女に寄り添うイングランドのマーク・サ ンプソン監督や仲間の姿が印象的で、感動しないものはいなかったのではないだろうか。

まあ、人生は何事も一生懸命努力しても悲運に泣くこともあり、そんな時に寄り添って支えてくれる家族や友人や仲間は本当に尊い存在である。ともすると、深い孤独に襲われる今日の世相に、誰もがこのシーンを見て「元気と勇気」をもらえたのではないだろうか。

ところで、このワンシーンからも分かるように、人生は一筋縄ではいかぬところが面白い。正に人生は「…..ないと思うな運と災難」なのである。

さらに、私達の生い立ちを考えてみるに、私達は生まれも育ちも今ここにこうしていることさえ、自分の意志によるものとは考えにくい。仮に自分の意志で生まれ育ち、ここに生きていると言うなら、私達は永久に死ぬことも永久に生きることもできるはずである。しかし、現実には、自分の意志で髪の毛一本でさえ黒くも白くもできないのである。

つまり、如何に真面目に道徳的に生きようが極悪非道に生きようが、太陽の光や雨が善人にも極悪人にも分け隔てなく降りそそぐように、時の運不運(定め)は、私達の意志とは何ら関係がないことが分かる。

つまり、如何に神仏に帰依し、その教理経典を念じ、その教えに従っても、いわゆる「生老病死」の苦諦から私達は逃れることは出来ないのである。つまり、私達が人生の指針とする神仏の教えとは、短絡的な思考を悠久な世界に普遍化し、日々日常の不安を取り除き「心の持ち様」を説くものであって、永久なる実利的な利益(利得?)を得るものではないことが言える。

その意味からして、人の不幸や弱みにつけ込んで「信じればすべてが救われる」と言った類の似非説法を説く宗教活動には特に注意を要する必要がある。なぜなら、それほど私達の人生は良くも悪くも単純なものではないからである。

そんな訳で、話は大分ズレてしまったが、しかし、やはり「運不運は時の定め」とは言え、それなりの場に居合わせるには、それなりの努力がなくてはならない訳で、それには自分に自信が持てるように自分を磨くことに尽きる。そうすれば、自ずから社会からも認められ「自分なりの道」が拓けるからである。

その意味からすれば、自分の道は自分で切り拓いていける訳で、人にどう思われようが、自分の好きな道を見つけ不断な努力を重ねることが最善の策であり、それ以外に、私達に残された道はないように思うのである。

人生は甘くない。しかし、そんな人生でも、共に想いを語り、想いを共にする家族や仲間がいる。図らずも、悲運なオウンゴールに泣き崩れる選手を抱きかかえる監督や仲間の姿に、そんな想いが重なって、感動のひとときを過ごすことができた。

時が織り成す人生のドラマに感謝したいと思う。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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