ご案内のように、ギリシャ語には、愛について、 Agápē(アガペ真の愛) Érōs(エロス性愛)Philia(フィリア隣人愛) Storgē(ストルゲー家族愛) と言う4つの言葉があるが、特に、エロスは古代ギリシャ神話の神でもあり「性愛」を意味する言葉である。
それは、女性の生殖が神秘かつ驚異であることから、神聖なものとして神と見做されていたからで、生殖につながる「肉体の交り」を伴う情欲的な愛や自己中心的な愛を意味する。
その一方、クリスチャンが理想とする理性の愛「アガペ」は、私達の感情とは別に「神の義に応える愛」であり、私的には、生きる指針や道標になっても、とてもそんな理想の愛には生きられない。
ところで、フランスの三色旗は「自由・平等・博愛」を意味しているが、この博愛に似た言葉に、親兄弟や友人などにおける「人間的な麗しい愛」について、ギリシャ語では「フィリア」と言う言葉を当てているが、私的にはこの言葉に「仏教の慈愛」に通じるものを感じる訳で、昨今世間で「アガペやエロス」と言った二分的な視点で「男女の愛のあり方」をとらえる風潮に違和感を覚える。
つまり、アガペにしてもエロスにしても、あまりにも男女の関係を性的な視点に偏って捉えているような気がする訳で、もっと広く自由に性差を超えて「ちょっと素敵」とか「いい感じ」とか言った「理性を超える仄かな感情」を肯定するような「男女の交わり」があってもいいように思うのである。
言い換えれば、ヘレニズムのような感覚かもしれない。しかし、時代は性的マイノリティーが市民権を得る時代であり、グローバル化に伴い様々な風俗や習慣に生きられる時代でもある。だから、男女の関係や家族のあり方も、これから大きく変わっていくものと思う。
まあ、好きな俳優や女優さんへの想いや憧れに似た想いや感情に生きる時代が来るように思う訳で、その方が生身の人間として健全のような気がして、その意味から「追っかけ」やファンクラブなどは、時代の先端をいくものと言えるかもしれない。
そんな訳で、人は人を嫌うより好きになった方がいい。だから、もっと自分に素直になって、自分の本質を愛し、本音と建前を互いに察し合える大人の関係性に生きればいいように思う。
人は想いに生きる。そして想いに消えていく。想いは果てしなく尽きることがない。