安全と安心

00271206-111049.jpg急速に進むグローバル化は、一体私たちの生活に何をもたらすのだろうか。人や物が自由に行き交い便利で快適な社会になっても、安全や安心を確保するのに多額の対価が必要となる社会は、果たして私達の理想郷になり得るのだろうか。

そんな思いの中、先月の29日に日銀は金融政策決定会合で「賛成5、反対4」という僅差でマイナス金利の導入を決定したが、金融政策の禁じ手と言われる「マイナス金利」は弱りきった身体に抗生物質を無理矢理ぶち込むようなもので、一説には阿部ノミクス最後の切り札と言われる。

そんな流れに、以前から「利息」といったものに懐疑的な考えを持っている私は「金利」そのものが実体経済を歪める元凶ではないかと言う思いに確信を得た訳で、それが図らずも、今回マイナス金利を国が導入し、大きな賭けに打って出たことから、金利や利息といったものが単なる巧妙な金融手段( 1キロの金塊は100年経っても1キロである )であることを改めて感じた訳で、何か不気味なものを感じる。

つまり、利息が利息を産み巨大化し続ける国際金融資本の投資先がなくなってきているからで、日本や韓国や中国の次に、インドネシアやタイやベトナムやインドなどが、今後その餌食になるのだろうが、それらの矛先が向かう国が次々と、長年にわたって先人が築き上げてきた民族の伝統や文化や価値観や世界観が、ずたずたに破壊され国が荒廃していくのを見るのが辛い。

なぜなら、そもそも日本においても、明治以前は貧しくも日本民族の伝統と文化の中に、同じ価値観と世界観を共有して生きてきたわけで、黒船の到来に始まる諸外国との交易が、私たち日本民族の真の幸福につながったかどうか、今日の日本人の精神的な荒廃を見る限り疑問だからである。

私的には、マルコポーロの「東方見聞録」にあるように、東洋の黄金の国、山水明媚で黄金の稲穂が実る国であれば充分であって、極論すればスマホもクルマもいらない。貧しくも、施政者や上に立つ者が滅私奉公にて、安全と安心が確保され治安が保たれ、精神的に安定して暮らせる社会であってほしいと思う訳である。

しかし、そんなことを言っても、世界はグローバル化に伴いますます狭まり極小化している訳で、多種多様様々な世界観や価値観を共有しなければならぬ時代になっている訳で、不安と不安定の中に、絶えず他国との関係性の中に民族の活路を見出す以外に生き延びる方法がない時代になっている訳で、いかんともしがたい。

言い換えれば、日々日常、私達は機関砲やミサイルを発射しているわけではないが、それに匹敵するような経済戦争に加担している訳で、すでに日本は小泉構造改革によってグローバル化され「市場原理主義勢力の一員」として、国の枠を超え世界中の国々と戦っていることはご案内のとおりである。

さらに、その戦闘領域は、経済や金融にとどまらず、観光やグルメ、文化芸術、民族の主義主張や世界観や価値観に及ぶ訳で、立場を異にする韓国や中国やイスラム諸国の台頭等も例外ではない。

まあ、民族自決主義とまでいかなくても、私的には民族の誇りや伝統や文化ぐらいは継承していきたいわけで、その前提として、古来から日本人が持っていた高い精神性「奥ゆかしさや品格や品性」といったものをジャパニーズ・スタンダードとして世界に発信して行くくらいの気概を持たなくてはいけないのではないだろうか。

日本は「黄金の稲穂の国、武士道の国」である。廃棄食品が出回るような物質文明社会になっては、今一度立ち止まって「精神的な安全と安心を共有できる精神文化社会」への道を模索したらどうだろかと思うのである。

そんな訳で、便利で快適で豊かな社会になっても、危険でリスクの多い社会では、常に何かに怯えて暮らす社会になっているわけで、何のために働くかと問われれば「安全に安心にして楽しく暮らすために」、私たちは日々に働き社会制度や社会システムを構築して暮らしているわけで、リスクと不安は、保険や社会制度ではなく、私たち相互の「信義や信用や信頼」にあるのではないだろうか。

そんな思いに、今日も「愛と正義と勇気」を信じて頑張ろうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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