クリスマスプレゼントに喜ぶ孫たちの顔を見ていると、こちらも嬉しくなって元気をもらえる。贈り物とは本当に素晴らしいものだと思う。
そんな贈り物について考えてみると、普段私たちは、何気なくいろんなものを手に入れて使っているが、どんなものでも誰かが作って用意してくれたもので、決して自分の力によるものではない。つまり、自分以外のものは勿論、いや自分自身でさえ、誰かによって用意されたもので、全てがギフト贈り物である。しかも、そんな贈り物を素直に受け取るか、拒否するか、奪い取るかで、人生ははるかに違ったものになるものと思う。
そして、そんな贈り物の中で、最高の贈り物は、身近な人によって用意された愛だと思うが、そんな誰かによって用意された本当の愛に気づけなかった自分が悲しい。
そんなことで、人は誰もがひとりで大きくなったような気でいるが、今あるのは家族や先生や友人や親しい仲間など、身近な人の愛によるところが大きい。しかも、そんなことも気づかずに、私達はつい「奪い取るような愛」に生きてしまう訳で、この歳になって改めて、人は素直に「与えられる愛」を信じて生きるべきではないかと思う。
そんな想いに、今年は暮れの5日に愛犬のTiffanyを失い、その喪失感から抜け出せずに萎れていたところ、主治医の小林動物病院の先生には、お花をいただいたり、慰めの言葉をいただいたりして、本当にありがたく思う。
さらに、23日には斉藤恭子先生にクリスマス・チャリティーコンサートにお招きいただき、しばしクリスマス気分に浸って元気をもらえた。まあ、この歳になると、失うものばかりで、この世の儚さを思い知るが、そんな中にも、必ず誰かが用意してくれる贈り物があることを忘れてはならないと思う。
人生は良くも悪くもない。漂ううたかたのような愛にしがみついて生きているような気もするが、それはそれとして、今日も愛と正義と勇気を信じて、頑張ろうと思う次第である。