波動2

来世があるかどうか分からないが、あると信じている人達によると、 地上では嘘も騙しも罷り通るが、あの世では 一切ごまかしがきかないらしい。

つまり、あの世に行くと、普段私達が思ったり考えたりしているとおりの自分に生まれ変わるらしく、不平や不満、愚痴や泣き言ばかり言っていると、そんな自分に生まれ変わり、また、暗く沈んだことばかり考えていたり、恨みや妬みや嫉みの気持ちから抜け出せなかったり、人を殺めたり貶めたりしていると、そんな連中が寄り集まるところに生まれ変わるらしい。

だから、気持ちが塞ぎ、心が重くなるような悪事や悲観的なことは避け、心が軽くなる嬉しいことや楽しいことを思ったり考えたりして生きていた方がいいようである。また、「地獄の沙汰も金次第」は、この世のことで、あの世ではお金も権力も通用しないと言うから、駆け引き上手もお手上げで、嘘偽りなく正直であることが絶対条件らしい。

しかし、そこは世間に転がればそうはいかない訳で、嘘も方便はこの世の常である。しかし、私的には、死んでからも世俗の駆け引きはしたくないので、その時々に応じて、自分が良かれと思う方向へ舵を切ればいいと思うが、これが簡単のようでなかやか難しい。

何せ、誰もが生まれながらにして持つ仏性は、心の奥底に隠れている訳で、知らず知らずに身につけた欲望や邪悪な考えやネガティブな感情は、それこそ鍋底の油のように全身にへばりついている訳で、そんな想いに、神仏とは真逆な悪魔やサタンの言いなりになってしまうことが当たり前だからである。

まあ、良からぬことが頭に浮かんだら、直ちに念仏や箴言を唱えて、不浄な想いを振り払うことも一理だが、そこは何でもいいから天空の想いに立ち帰ることが一番で、それには邪悪な波動を持つ連中には近づかないことである。

まあ、量子論の立場に立てば、この世は光や音や電磁波のような波動による情報の伝達で形作られていると言うから
「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。言葉は神と共にあった。万物は言葉によって成り、言葉によらず成ったものはひとつもなかった。言葉の内に命があり、命は人を照らす光であった。その光は闇の中で輝き、闇が光に打ち勝つことはなかった」
(『新約聖書』「ヨハネの福音書)より)

とある「ヨハネの言葉」には、信憑性がある。また、日ごろからよく「言霊」と言われるように、スポーツでも応援があるのとないのとでは月とスッポンだからして、言葉には何らかの力があることは確かである。

まあ、言葉一つで仲良くなったり気持ちも和らいだりする訳で、私的には言葉そのものより、言葉が持つ波動に霊力があるような気がする。

また、私達の身体をみても、頭の天辺から足のつま先まで、すべての細胞がお互いに情報を交換し合い、恒常性を保っている訳で、私達の細胞は物理空間にあるとは言え、量子レベルで波動を頼りに情報空間に生きていると言えないこともない。

さらに、一説には、肌は色彩を感知し光の波動を読み解くらしく、肌をみずみずしく保つにはホルモン分泌を促すピンク系の色が最強らしく、その一方、黒やブルー系など暗い色はホルモンの分泌を減らし肌の水分が失われシワくちゃになると言うが、まあ、シワくちゃになりたければ暗い色のパンツを穿き、そうでなければ、ピンクのパンツを穿き、適当にお尻に刺激を与えて、時々ハッスルするのが、どうも健康で若くいられる秘訣のようである。

まあ、何はともあれ、身も心も軽く心地よくいるには、なるべく本来の波動に合わせて生きるに越したことはないようである。

つまり、あの世や見えぬ潜在意識への架け橋は波動であり、そんな視点に立てば、日夜3000億とも言われる体内細胞の入れ替えも、量子レベルで、波動が深く関与し、遺伝子の組み換えが行われているものと考えられる。

そんな想いに、今年の夏は時間にゆとりがあるので、世俗を廃して涼しき林野に安処して、本来の自分を取り戻そうと思うが、夏は夏でこれまた楽しい。とても家の中にシケ込んではいられない。

時には世俗の波動も浴び、残された日々を楽しく過ごそうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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