暇潰し

今朝は雨で外気温は昨日より10度も低く外仕事ができないし、半袖では寒いので、炬燵に転がって今日の社会の混迷をどう紐解くか考えてみたが、変化と多様性の中、如何なる価値観や世界観も単独では機能しないから、不安が不安を呼びストレスを抱えてうまくないように思う。

そもそも、万物の創造主は神だから、元を正せば万物は一つである。そこには陰陽、清濁、善悪、真偽などの判断基準は介入しない訳で、神の怒りを買って天界を追われたルシファーも元を正せば、比類なき美貌と知恵を持った大天使である。それをサタン足らしめるものは妬みや傲慢なる知恵であって、清濁明暗を隔てる考えにあるように思う。

そんなことから、悪を悪とせず、偽を偽とせず、全てを同一視すれば、差別も偏見もなく、知恵や知識による抱え込みもなくなり気持ちも安楽になるやに思う。

元々、西洋の文化文明は自然界と調和せず戦い人間にとって都合のよいように改造して進歩発展してきた訳で、日本の文化文明が自然界との調和を大切に進歩発展してきたものとは根本的に異なる訳で、西欧文化を巧みに採り入れ新たなものを生み出す日本の文化や文明は、大前提として自然界との調和があると思う。

ゆえに、見方によっては生温いような感じを受けるが、何事も「過ぎたるは猶及ばざるが如し」で、調和ハーモニーやバランスこそが、平安に安寧に生きる秘訣であり、今日的なSDGSに通じるものだと思う。

まあ、人の一生は良くも悪くも、全て成り行きと諦め、その場その場のバランスな訳で、そこに背反律は存在しない。言い換えれば、「毒も薬、薬も毒」な訳で、身体に良い食べ物など単品で存在しないことからも察し得る。

まあ、私的には私達人間は自分以外の意識や物質で形作られており、その意味からして全てが借り物、唯一私を私足らしめるものは真我であり、肉体の欲に振り回されるような真我はあり得ない。

そんなことから、著名な高僧らが日頃から五感を滅して座禅や瞑想に勤しむのも合点がいく。しかしながら、娑婆の欲もなくては子宝にも恵まれず、これまた問題な訳で、何ともさっぱりしないものがある。要するに、zero sum思考ではなく、調和とハーモニー、バランスとグラデーションに、日本文化の真髄があると思う。

まあ、人間が生命体である限り、時計の針が負角に運針するが如く、生きることは消費そのもの、新たに増し加えるものなど何もない。あるとすれば、それは真我への道標や目覚めであって、全てはそこに集約される。

そんな昨夜の夢の続きに、気楽、安楽を決め込んでしまったが、明日は30度近くになるようで、激しいお天気のアップダウンには注意を要する。それにしても、今日の雨で鶏糞の悪臭が消えたのは朗報である。あんな匂いが染み着けば、正にお笑いの「笑い飯の鳥人」になってしまう。

そうでなくとも、この世のものとも思われない風貌に臭いとなれば、誰も寄り付かないどころか、長年連れ添ったカミさんにも見放されてしまう。そんな想いに、改めて、今あることに感謝したい。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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