風呂敷

昨日は、甲府市の北東公民館で、妻と妻の友人が主催する音楽講座があり、会場の設営や写真撮影などのお手伝いしたが、元の職場の先輩や妻の知人ともお会いして、お話することができて楽しかった。

皆さん顔色もよく健康そうで、昨年の11月に不慮の事故で息子さんを亡くされた知人ともお話したが、東上百合子さんの自然食を私に勧めるだけあって、何とか厳しい状況から抜け出し、元気な顔を見せてくれたので嬉しかった。

まあ、私は年に何回か妻が関係する音楽のイベントのお手伝いをするので、いろんなグループのメンバーの方とお話するが、写真やビデオの編集で、お顔を拝見しているせいか、始めてお話しても初対面の感じがしない。面白いものである。

ところで、話は全く変わるが、断捨離を重ね最近ミニマリストを目指している私は、その必須アイテムとして、いつも風呂敷を持ち歩いている。

昨日も配付する歌集を持参するのに、今までのダンボール箱でなく、お気に入りの真紅の風呂敷に包んで持参したが、配付してしまえば小さく折り畳め、実に合理的で軽くて体裁がよく、咄嗟の雨には傘代わりにもなり、まあ先人の知恵の深さには感心する。

しかも、紙袋やスーパーのレジ袋などとは違って、使い捨てでなく極めてエコである。まあ、いろんな分野でゴミの減量化を図る3R事業(Reduce、Reuse、Recycle)の取り組みから、資源の枯渇が抑止され地球環境の保全が進んでいるとは思うが、私達市民の活動について、その成果をわかり易く公表するくらいの配慮はほしい。

まあ、レジ袋を廃止して、どれだけ資源やエネルギーが節約され、浮いたお金が何に使われているのかくらいは、マスコミやマスメディアが特集を組んで放映してもいいように思う。仮に外郭団体の運営費や関連事業の補助金に当てられているとしても、費用対効果や事業の見直しを、年金事業のようにある程度明らかにすべきだと思うが、それも偽装するようなものではしない方がいい。

そんな訳で、ネットを覗くと新柄の風呂敷が目に留まり、思わずポチリそうになるが、そこは、にわかミニマリストとは言え、お金がないことも手伝って踏み留まっている。

断捨離しているのに、新たにモノを買い込んでは元も子もなく、気をつけようと思うが、生来「小物好き」なので、困ったものである。

あれば便利と思えば、つい衝動買いをしてしまい、先日も岩塩でできたピラミッドの置物を横浜でみたことを思い出して、買いに出かけようと思っていた矢先、台風の悪天候でフイになり、後で考えてみれば買わなくて良かったと思う。

しかし、生活をしている限り、モノは捨てない限り増えるばかりで、 今日も昨日のご苦労舞に妻がパジャマを買ってくれたが、どれか代わりのものを捨てるとなると、これまた困ったものである。さしずめ、孫の家にあるパジャマを捨てようと思う。

改めて、必要最低限に生きる意味を考えてみるが、 断捨離して確かなことは、モノにも霊魂が宿っているような気がする訳で、そんなことから、拾い物や遺産相続なども考えものだと思う。

なぜなら、取り憑いた霊魂を背負い込むような感じがするからで、やはり、人間はいつも余計なモノは身に着けずに、小ザッパリして清貧に徹し、身も心も軽くいるのがいいように思う。

そんな訳で、明日は秋の連休の最終日なので、予てからの約束通りに、孫娘との弥次喜多道中を楽しもうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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