発信

慰安婦、徴用工、レーダー照射や竹島などを巡り、日韓関係の溝は深まるばかり、とにかく、嘘偽りやまやかしや誤魔化し、怨み辛みの話しばかりで、呆れ果てる。特に史実にない反日教育には眼を見張るものがあり、正に「嘘も3回言えば本当になる」のお手本である。

極東アジアの平和を共に守る同盟国として、どう考えてみても相応しくない存在で、このグローバルな時代に、これほどまでに自国のプロパガンダに操られ自浄能力のない国民も珍しい。

まあ、正義感が強く、義理人情に厚く、欲得や利得でなく「誉れと誇り」に生きる生粋の日本人と比べると、月とスッポン、雲泥の差がある訳で、品格や品性はお金では買えぬものがある。

まあ、儲かりさえすれば、師匠の頭越しに取り引きするのは当たり前、大きくなれば、商売仇となって、潰しに掛かるモラルなき国民性は、到底日本人にはあり得ない大陸譲りの特性だが、それに輪を掛け「嘘と虚栄」を分厚くコーティングする意図は、何処にあるのだろう。

今の時代、信義を尊び、正義感と義理人情を、何よりも大切に品格や品性に生きる日本人が稀有な存在なのかも知れないが、諸外国の発信や挑発に黙りを決め、お人好しをしていると、竹島の事例ではないが、スキを突かれて亡国の憂き目を味わうことになるかも知れない。

まあ、近頃は「不言実行」と言う言葉は死後に近いが、仮に「有言実行」であっても、行為や行動、つまりアクションを起こすことが大切で、それには、レーザービームではないが、何らかの意志表示を周りに示すことが必要不可欠であって、何事も「想いを叶える」には、まず第一に「想いを言葉にする」必要がある。

だから、YES or NO はハッキリ言うべきで、実効支配されている竹島などを取り戻すには、今となっては武力行使しかないと思う。

動画にもあるが、今日の沖縄の沖合いは、地元の漁師が漁に出掛けられないほど、中国などの外国の船に占領されている訳で、なぜ日本のマスコミやマスメディアは、事実を報道しないのか不思議である。

まあ、反論や反証しない限り、正論となることは、慰安婦問題や徴用工問題が既に実例となっており、如何に「意思表示」することが、グローバル化した国際社会では大切なことであり、日本のジャーナリズムがその域に達していないことが悲しい。

まあ、普段の生活でも、今の時代は、黙っていては認めたことになってしまう訳で、かってのビールのCM「男は黙ってサッポロビール」ではダメで、気の利いたギャグくらいは持ち合わせていないと、好きな女にも振り向いてもらえない時代なのである。

また、女性にしても、お化粧や髪型や服装なども大切だが、それ以上に、自分の気持ちを伝える言葉を磨くことが必要で、言葉や会話術は自分好みの伴侶を得る必須アイテムだと思う。

そして、さらに言えば、外見ばかりが先行する「見た目社会」だからこそ、真なる差別や偏見からの開放は、やはり「言葉」によるのではないかと思う。

つまり、言葉こそ、性別や性差、人種や民族や国、政治や宗教、風俗や習慣、伝統や文化、文明の垣根を乗り越えるツールであり、私達が自分のアイデンティティを外に示すべき最強のアイテムなのだから、黙りを決め込まないで、もっと自分の想いを勇気を持って発信していくべきではないかと思う。

「求めよさらば与えられん」、大恋愛も最初の一言から始まる。所詮、死ねば全てが終わり、忘れ去られ、まさに The End な訳で、そんなことから、私的には、結べぬ絆に固執するより、前向きに新たな出会いを信じて、自分の想いを発信していく方が、神仏の御心に叶っているのではないかと思う。

そんな思いに、来年は一つ、動画にある我那覇真子(がなはまさこ)氏の演説を聴きにいこうと思うが、御世辞を言う人は数しれぬが、やはり真実を語る人の目は美しい。そんな瞳に、来年は願わくば肖り、元気を貰おうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
カテゴリー: 未分類 パーマリンク