「諸事は心にもとづき、心を主とし、心より作り出される。」とは、DhammaPada(法句経)の聖句であるが、正にその通りだと思う。
つまり、同じことをするにしても、偽りや悪意や不本意な気持ちでするのと、清らかな気持ちや好意や善意や好奇心でするのとでは、雲泥の差がある訳で、苦しみや悲しみや憂いや後悔を背負い込むことになるのか、清らかな想いや安らぎや安楽や平安を手にすることになるのかは、心のあり方次第と言える。
そんなことから、感情や感覚を常に客観視する必要があるように思うが、とにかくコロコロ変わる変わり身の速さには恐れ入る。まあ、何時になっても「後悔先に立たず」で嫌になるが、それが自分だから仕方がない。
ところで、振り返れば、最近は富に時の流れが速く感じる。そして、過ぎ去れば、記憶も定かでなくなり「あれは何時だったかなあ」と記憶を辿れば、つい最近のように思っていたことが、2年も経っていて、不思議な感覚を覚える。
まあ、全てが何らかの縁起で繋がっている訳だから、自分もあるようでないようなもので、自然と宇宙の塵に戻っていく段階に差し掛かっているのだろう。
そんな訳で、今日も一日が終る。人様から見れば笑われるような隠居生活だが、断捨離のお陰で、身も心も軽く、障りなく一日が終わることが嬉しい。全てに感謝したいと思う次第である。