祈り

大東亜戦争中、飛行機による機銃掃射を受けると、人々は散り散りバラバラになって物影に隠れ身を守ったと言うが、その恐ろしさに口から出る言葉は一応に「神様!助けて!」であったと言う。

勿論、無神論者も仏教徒もいたと思うが、命を絶たれんとした時に、一応に「神様」の名を叫ぶのは偶然とは思われない。

また、亡くなると、人は別の世界に行くことに疑問を持つ子は稀で、妙に物分かりがよい。そんなことから、私達は生まれながらにして、永遠への想いや憧れを持って生まれてくるような気がする。

まあ、万物は流転し、魂の存在は別として、死ねば肉体は土に帰り、また土から新たな生命が誕生する。地上の営みはそんなことの繰り返しだが、私達はそんな時の流れのほんの一コマしか見届けることができない訳で、永遠なる想いへの憧れは永遠に満たされることがない。

そんなことから、実に悲しいことだが、私達の如何なる営みも、やがては意味も目的もなくなってしまう訳で、仮に死後に別の世界がなく、死ねば全てが終わるとすると、私達はダーウィンの進化論にあるように、突然変異が折り重なって偶然に誕生し、その存在意義も意味も目的もなく、単なる自然淘汰による生存競争を勝ち抜いてきただけの存在になってしまう。

果たして、私達はダーウィンの進化論によるものか、神によって目的と意義が与えられた創造物なのか、とても人知では計り知れるものではないが、少なくとも、人が窮する時に自然と神の名を叫ぶことからすると、突然変異が折り重なって目的も意味も意義もなく存在するものとは考え難い。

まあ、そんなことから、今年のクリスマスは、先月の17日に愛犬のくーちゃんが一足先に闇の世界に旅立ってしまったので、一人静かに祈り場を求めて、永遠なる想いの中に過ごしていこうと思うが、そんな中にも、今ある絆の尊さを思い知る次第である。

深い祈りの中に、すべてに感謝し、新たな夢と希望が与えられますよう、静かな時を持ちたいと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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