自然回帰

朝起きてネットを開くと暗いニュースばかりで憂鬱になる。しかし、外は良い天気で晴れ渡っている。そんな春の日差しを受けると寝起きの不快感も吹っ飛んで、気分はたちまち爽快になる。自然は優しい。

それにしても、今朝は日経平均が前場1,400円も値下がりし、日本経済の先行き不安が高まる。さしずめ株価に依存するソフトバンクなどはかなりやばいのではないだろうか。さらに、原油も31ドルと値下がりしシェールオイルの採算割れから米国経済への打撃も只ならぬものがある。

まあ、日銀のETFも含み損が発生し、お札を刷りまくりのは勝手だが、日本株を買い支えるにも限度があり、やはり将来性のない日本株をいつまでも買い支えていても円そのもの価値を下げるだけのことで、私達庶民の血と汗と涙の結晶が、黒田さん達金融エリート達がマネーゲームで外資に根こそぎ分捕られていては始まらない。金融エリートのプライドを掛けても、邪悪な勢力の片棒を肩がず、自国の金融システムの健全化に命を懸けてもらいたい。

また、年金資金の運用なども恐らく専門家に委託してやっているのだろうが、グローバル化の時代である。うまい運用ができないようなら、いっそのことロンドンのシティーにでも頼み込んだらいいと思うが、もとより先方が日本の国民資産を狙っているところに問題がある訳で、グローバル化とは世界的な富の平準化と世界統一支配国家の樹立が目的だから、それはある意味において、中国共産党の覇権主義と何ら変わらない一面がある。

しかし、一党独裁共産主義は、中国や北朝鮮の政権を見れば分かるが、人権も人道もない訳で、支配階層はやりたい放題、法律も倫理も道徳も罪の意識もない。あるのは冷酷さをも乗り越える快楽と欲望と、それに裏打ちされた適者生存意欲と自己愛である。

まあ、日本は米中の覇権争いの中に沈んでいく運命にある訳だが、少なくとも第三次世界大戦の戦場にならない知恵は持っていたい。

そんな想いに、今回の新型コロナウイルスによる経済活動の自粛は、ある意味、本来の私達の生活を見直すきっかけになる訳で、9年前の東北大震災の自粛体験も思い出してみる必要もあるのではないだろうか。

そんな視点に立ち、日々日常を顧みれば、今の生活は正に不要不急、あってもなくてもいいような無駄と虚飾の生活で、そんな下らない快楽や楽しみのために、日夜心骨を砕き創られた生き甲斐に操られ搾取されながらが一生を終わるようなもんで、どこか大企業のエリート社員の過労死に通じるものがある。ここは劣化の果てに、金銭欲しか目もくれず信念なき日本のリーダーやエリート達とは一線を分かち、改めて己の心に真摯に向き合い、要らぬ労苦を捨て去ってみてはどうだろうか。

「物言えば唇寒し春(?秋)の風」、不平、不満、愚痴、泣き言は、幾ら言っても何も変わらない。春の日差しを浴びながら、タダでビタミンDを蓄積し、栄養と睡眠に気を配り、時にラジオ体操などして、とにかく今はウイルスに打ち勝つ体力と免疫を身に着けることが一番で、自分にも人様にもご迷惑をお掛けしない方策と心得る。

時に、マタイ福音書には「… 神と富とに仕えることができない。神と富を同時に愛せるか?二人の主人に同時に仕えることができるか?」と言った問いがあるが、私的にはこの言葉は「二者択一・二元的」に捉えないで、「傲慢や貪欲の陰に忘れがちな自分の身体や心の発する声に耳を傾ける」そんな謙虚な姿勢を問う言葉と捉え、春の風に生きる意味を考えてみようと思う。

そんな想いに、机の写真に目をやれば、昨日祥月命日を迎えた母が笑っている。そんな母との出来事を思い出しながら、今日も一日実りある日となるよう頑張っていきたいと思う次第である。

それにしても、今年は桜の開花も早いのではないだろうか。そんな日本のさくら吹雪にウイルスも居場所を失い、ウイルスには語ってやれなくて可哀そうだが、終息・終焉を迎えることを期待する次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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