自尊心

日本の学校教育のまずいところは、小さい頃から単一の価値観で比較競争させてコンプレックスを植え付けてしまうことで、勝ち組も負け組も共に劣等感と優越感の中を行き来する極めて幼稚な精神構造の人間を育て上げてしまうことで、人間が生きていく上で必要不可欠な本物の自尊心を植え付けられないところにある。

だから、今回のような天変地異に等しい災難や事故で一度梯子段を踏み外すと、自暴自棄になって何をしでかすか分からないような身勝手な人間が出てくる。自制と自粛が求められる中、カラオケやカフェで屯したり、イベントを強行したり、コロナウィルスに感染した男性がパブでウィルスを撒き散らし死亡した事例などがあったが、いかなる状況下にあっても自尊心を持ち、自分の境遇と立ち位置をわきまえ自制し責任ある行動をとれる人間は極めて稀で、今回のようなパンデミックになると、つくづく自制と自尊心の尊さを痛感する。

ところで、そんな視点から、最近の出来事を眺めると、4月6日付の「週刊文春」のスクープ速報で報じられた慶応病院(慶應義塾大学病院)の研修医による懇親会での新型コロナウイルス集団感染などは、懇親会の場で、研修医たちがキスなどの濃厚接触を繰り返し、会の開催を口止めするなど、将来が嘱望される責任ある大人の行動とは思えない行動には呆れる。誤魔化しや姑息くりでその場を切り抜ける思考回路は、どこかの国のリーダーに範を得たものか、今や国民病である。大切な人命を預かる人間として、あるまじき行為・行動であり、組織的にも謝罪では済まされない内容である。教育や研修のあり方を人間教育の視点から見直す必要がある。

まあ、見た目、建前の社会だから仕方ないが、いままではそんな姑息くりや誤魔化しで通れても、この度の難局は乗り越えられないと思う。

そんな想いに、真なる自尊心と自制の心を持つことの尊さと難しさを痛感するが、理性と本能に揺らぐ想いの意味を、生きる意味を改めて問いたいと思う。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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