流れ

1年ほど前に発売になった全天球カメラが知らぬ間に製造中止になっていた。製品に大きな欠陥があるのだろうか。製造中止となるとファームアップや修理も万全でなくなるから、ユーザは心配になると思う。

すべてに感謝したい

現在、全天球カメラはリコーのシータを持っているが、4年ほど前に購入したが、使用頻度は低く、これまでに5回ほどしか使っていない。まぁ特殊なカメラだから仕方ないが、その他にこの種のカメラはカシオのものも持っているが、コンデジの老舗カシオは業績不振のためコンデジ事業から2018年にさっさと撤退している。

この度のオリンパスのカメラ事業からの撤退を踏まえると、カシオの選択は正解である。まぁ、これだけスマホのカメラが優秀になると、よほどこだわらない限り、首からぶら下げて歩くのもばかばかしく、時代の流れを感じる。

それにしても、最近の技術革新の速さは凄まじく、1〜2年もすれば、それこそ仕様が変わり、特にスマホやPCとの連携がうまくいかなくなるから、結局は買い換えることになる。正に何から何まで使い捨て、実に恐ろしい時代である。

そんな中、ソーシャルディスタンスが社会のモラルやエチケットになると、これまで「かけがえのない存在でありたい」と願っていた想いや憧れも、もしかすると何の変哲もない単なる思い込みに過ぎないのかも知れない。

つまり、ポストコロナにおいては、ウィズコロナを原則に、物理的にも精神的にも、3密を回避するのが、新しいライフスタイルになる訳だから、実に味気ないものとは言え、そんな視点に立てば、これまで私達は精神的にも物理的にもいろんなものに依存し過ぎていたのかも知れない。

まあ、異性への関心はもちろんのこと、食べ物に関しても、いつもおいしいものを探し求め、いちど覚えたお気に入りはなかなか手放せない。しかしそんなこだわりも、時によっては捨てなければ病気になったりひどい目にあったりするわけで、やはり今回のコロナ騒動は、欲深い人間への神からの警告や啓示なのかもしれない。

そんな想いに、それぞれに十字架を背負いながら、時代や社会の流れに沿って生きることの難しさを痛感するが、恐れやコンプレックスほど人に道を誤らせるものはない。

そんなことから、今日のマスコミのあり方や、ある種のカテゴリーに偏する教育のあり方には、かなり問題があると思う。なぜなら、どんなに英語や数学が得意でも、コロナ感染には太刀打ちできないわけで、わたし的には中学校時代に覚えた技術家庭や保健の授業の方がよっぽど役に立っている。

そんな訳で、時代に合ったライフスタイルの確立には、まだまだ時間がかかるが、とにかくさらなる気持ちで、すべての関係を見直し取り組んでいこうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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