超現実

科学的な方法で物事を細分化し分析して因果関係を明らかにするのが今日的な解析手法だが、何処か「木を見て森を見ず」のような感じがする。手術は成功しても患者は…どうなんだろう? 今日的には権威や法律を盾に、結局は自己責任と言うことになる。

今回のコロナでも、マスクに効果があるとかないとか、免疫についても、こんな薬やサプリメントや食事法や運動がいいとか、朝散歩で時々出会うご主人のリハビリを兼ねたご夫婦の健気な様子も、よくよく見るとつらそうで、個別のケースを勘案しないスケールで操られているような気がしてならない。

そもそも、ウィルスと私たちは共存関係にあって、決して敵対関係にはない。皮肉にも、免疫について知れば知るほど、対処法ではなく、免疫そのものについて、私は知識を増し加えたような気がする。

そんな中、私は10月の半ば頃からDIYにハマってしまい、毎日ノコギリとトンカチの生活をしている。当初、電動工具を買う予定だったが、YouTubeを見ると様々な種類の工具があり、やはり建具程度のものなら、のんびりマイペースでやるには、昔のスタイルの方が楽しんで出来るような気がして、ノコギリを引いている。

そんな中、今日は離れの玄関先のゴミ箱(今は掃除道具入れ)を修理した。ゴミ箱の割れてヒビが入った箇所に、インスタントセメントをこねて補修し、上に引き上げる木製の蓋の一部が腐っていたので、新たに当て木をして、それなりにきれいに仕上がった。

とにかく、全てが昭和レトロな建て付けなので、ガタつきや傾きが半端でなく、そんな手直し姑息利が馬鹿みたいに楽しい。妻には「最初から大工さんになれば良かったのに、生き生きしてる」とか茶化されてしまったが、自分でもそう思うから仕方ない。

当然にして、離れにはWi-Fiが届かないから、スマホもパソコンも遠い存在になってしまって、今考えてみると、いつか知らぬうちにバーチャルな世界に傾倒し過ぎていたように思う。

一方、コロナを境に、安全・安心・便利・快適といった今日的な社会インフラの虚弱性が明らかになり、その一方で社会がこれまで以上に、テレワークやネット通販などのバーチャルな世界での交わりや接触が進む中、自分としては昭和レトロの世界に逆戻りしているわけで、科学的分析によるリダクションリズムなんかより超現実的な己の直感を頼みにする方が、どこか物事の核心に触れられるような気がする。世間とは真逆に、これからは世間の尺度から離れ、より統合的に包括的な生活を自分なりに模索していこうと思う。

まあ、コロナで、既存の価値観や世界観、伝統や文化、世間の常識、道徳や倫理や宗教といった信念体系や経済や金融理論、独裁や民主主義などの政治体制、様々な科学的な知見やテクノロジーなど、如何なる判断基準もコロナに通用しない現実に、盲人が巨像を触れて評するが如く、それぞれに正しくも、全体を見通せない有り様は、私達の認知機能の限界を知るべきである。

そんな訳で、同じ夢幻なら、人様を介するより、自分の想いを真面に受け止めてくれる職人気質に、私的にしばらく遊び、己の夢と希望を託してみようと思う。

いずれにせよ、今ここにあることに感謝したいと思う。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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