美徳

群れや集団でチームプレイ協調して物事を達成することが日本人の美徳と言われるが、それも程度問題で、自分の考えや思いが殆ど通らないとしたら、辛いことばかりで生きる意味も薄れてしまう。

そんな中、この国難の時に「黙して語らず…」何も手を打たず、やり過ごしていては、リーダーたる資質や能力に欠ける訳で、時代を先読みし大胆な改革を提案する位の技量と勇気なくしてはリーダーの資格も所以もない。そんな無能なリーダーばかりが揃っているのが、今の日本社会であり、「みんなで渡れば怖くない」的な発想で、日本社会の特有の馴れ合いも手伝って、結局はうわべや綺麗事で終わってしまうのが通り相場である。

そんな日本の社会の有り様について、社会心理学者の山岸俊郎先生は、日本人は本来集団におけるポジション争いにあくせくしており、日本社会を集団主義とするのは誤りで、日本人ほど利己主義セルフィッシュな民族はいないと指摘されている。さらに、所属する集団が限られていることから、複数の集団がwin winの関係で包括的に結ばれることもないから、所属する集団や組織に対して「滅私奉公」することが美談や美徳とされ、組織や己の為なら何でもすると言うのが、日本社会の実態だと言うのである。

そう言われてみれば、一連の籠池・森友・桜を見る会に始まり、今日の総務省の会食接待等に絡む組織人のあり様からも、そんな傾向が読み取れる。正に、集団や組織に生き残るにはきれいごとでは済まされないものがある。

しかしながら、そんな窮屈な日本社会であっても、都会は田舎や地方都市に比べ、周りや世間を気を遣わずに済む訳で、コロナ禍において地方が大都市に取って替わると言う予測は、時期尚早ちょっと軽率な感じがする。

いずれにせよ、総じて今日の社会の方が昭和や平成初期の頃より豊かで自由度が高いわけで、大きく思考を転換すれば、生活レベルはかなり高く便利で快適だと思う。

そんな訳で、今日は春の日差しに、離れの花壇にはスノーフレイク(鈴蘭水仙)の株があれっという間に大きくなって、小さな可憐な花を咲かせている。さらに、その横には寒い頃には全く精彩を欠いたパンジーが元気を取り戻し、コロナ禍の憂鬱もどこ吹く風である。

自然はありがたい。朝玄関先を掃除して打ち水をくれ、花に水をやるのが日課となった私としては、愛犬に変わるガーデニングに、今年は勤しみ、元気をもらっていこうと思う。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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