時代錯誤

Amazon から待望の電気カンナが届いた。 早速試してみたが 意外と大きな音がするので、早朝や夕刻は控えた方が無難である。

まあ、 カタログスペックでは掴めない使用感であるが、プロ仕様でなく エントリーモデルにして良かったと思う。臨機応変に、上手に使っていこうと思うが、合わせて、手カンナもしてみたが、こちらはこちらで、木屑から木の匂いがして、木と会話しているようで、私的には性に合う。

そんなことで、カンナ掛けもそこそこに、今日も昨日に引き続き、コンクリの破片や土砂を運び、地面を平らにして、庭と通路の境にブロックを敷いてみたが、作業の後のシャワーの爽快感といい、肉体労働後の昼食のうまさは格別で、さらに昨夜は夜中に目が覚め、今日は早朝から作業していたので、昼寝もぐっすり心地よく、目覚めに飲んだ冷えた緑茶の美味いこと全身に浸み渡った。

そんなことで、電動工具も一長一短、あまり凝らず必要最低限のものを揃えて上手に使い、合わせて手持ちのノミやカンナやノコギリの技術を高めていく方が、私的には合っているような気がした。

いずれにせよ、残る楽しみは夕食だけだが、山形から送られてきた山ウドが絶品で、大好物なので酢味噌で食べるのが楽しみである。

まあ、世間はどう動こうとも、いずれは土に帰る身なので、この種の歌のように、古き時代の感性に耳を傾け、ゆっくりと残されし日々を大切に生きていこうと思うが、どうなることやら…

しかしながら、この種の歌がアメリカで流行っていたとは、当時アメリカに憧れラジオのFENを聞き入っていた私達の世代でさえも不思議な感覚を覚える。時代も変われば変わったものである。まさに、ジェンダーフリー、草食男子や肉食女子、パパ活、ママ活、レンタルオヤジに同姓婚、経産省の性同一性障害トイレ制限訴訟に至るまで、男女関係の本質が社会問題化すると、これは単なる差別や偏見と言った領域ではなく、もっと個人のメンタルに踏み込んだ自認性の問題で、それが自由に語られる時代になったと言うことだと思う。

性転換やアンチエイジングや美容整形、今では世間一般に幅広く身体を改造してまでも自認性を追及するようになれば、私達は一生命体として進化したのか退化したのか、理解に苦しむ。いや、それがもし私達の本質だとしたら、異性への想いや憧れは何なのか、寧ろ異性そのものより、その向こう側に真に私達が求める何かがあるような気がしてならない。

いずれにせよ、既存の社会制度やシステムが私達個々の想いや欲望によって崩れていくと思う。まあ、男と女、憧れや罪の意識に踊らされ、老いては性差もなくなる結末からすれば、もともと世間の決まりや社会制度やシステムも一義的なもので、根源的な意味合いがあるとは思えない。

さらに言えば、私達は誰もが一人であり、如何なる人生のステージにおいても、たまたま同じ電車に乗り合わせた乗客のようなもので、いずれは一人で電車を乗り降りしなくてはならない存在ではないだろうか。

そんな成り行きに身を任せ、泡沫の想いを楽しむのが人生ではないかと思うが、それにしても、人の自認性に惑わされ操られる人生だけはゴメン被りたいと思う。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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