仮に戦争に巻き込まれ、ネット回線が破壊されたら、当然にしてネットを介して買い物もできなくなるし、コンビニや郵便局で現金も下ろせなくなる。
電気やガスの供給も止まったら、それこそ一大事、水道も止まるかもしれない。もちろん、電車やバスや自動車も使えないとなると、昔ながらのアナログ自転車が重宝することになる。
それより、考えてみると、毎日の食に窮することになる訳で、コロナによる経済金融システムのグランドリセットに始まり、米中ロシア、イスラムをめぐる戦争経済が再び動き出せば、そんなシナリオも現実味を帯びてくる。とても、オリンピックなどとは言ってはいられない。
まあ、いろんな意味で、Postオリパラが気になるが、構造改革以上の大きな社会変革に見舞われるのではないだろうか。
そんな中、今日は久々に離れに行かずに、自室でDVDやブルーレイを開いてみたが、長期保存のため光学ドライブに保存したものだが、やはり面倒で、スマホに慣れきった今日、改めて時代にそぐわない不便さを痛感した。
ところで、我が家には友人から譲り受けたヴィンテージ物の邦文タイプライターがある。活字は鉛の塊で、とても1人では持ち上げられない。こんなものを使って文書を作成しないと、法務局では文章を受付てくれなかったようで、50年前以上のまさにヴィンテージものである。それで、長期にわたって納戸に保存しておいたが、場所塞ぎなので処分しようとタイプライターの専門業者に相談してみたが、愛知県の業者で県内ならば対応できるが、県外はとても重量があるので無理だと言われた。
それで、捨てるには惜しいが、貰い手もいないし、メルカリやヤフオクにはとても重量があるので出品できない。それで、処分業者に依頼することにしたが、鉛の活字は最近の子供は見たことも触れたこともないと思うし、つい100年前はこんなアナログな生活をしていたかと思うと、何か不思議な感覚に襲われる。
まあ、時代の流れとはそんなもので、諸行無常、全てが刻々と変わり移りゆく営みの中、結局は自分の想いしか自分と共に歩んでいけない現実に、ずいぶん急ぎすぎて遠回りをしてしまった気がする。
そんな訳で、今日も夕刻は豪雨ではないが、雨である。別に、腹も減らないが、せっかくお刺身を買い置きしてくれたので、しっかり食べて明日への英気を養おうと思う。
すべてに感謝したい。
それにしても、日本はお花畑、結局は楽しければいい、そんなところに落ち着くのではないだろうか。