オリンピックも始まると、生涯を掛けてパフォーマンスを展開するアスリート達の生き様に感動しかなく、元気をもらえる。
その一方、コロナ禍もまだ先が見通せないことから、オリンピック後の生活が気になる訳で、このまま自粛生活が続き自由に往き来ができないとなると、私のような高齢者はそうでなくても世間とのおつきあいが先細る中、先方への気づかいから、ますます世間様と縁遠くなり、仮に伴侶を失ったりしたら、それこそ目も当てられない。
まあ、趣味の写真や木工などのサークル活動にも参加してみたいし、コンサートや観劇やバレエなどの同好的な集まりやファンクラブにも参加してみたい。そうとでもしなければ、新たな出会いもなければ交わりも持てない。
変化と多様性の中、激変する社会に自分の殻に閉じ籠り狭い関係性や了見にあっては、無駄に生きることになる。よくも悪くも感動と喜びの中に生きなくてはつまらない。
人生に憂いや悲しみは尽きないが、そんなものに負けてはいられない。そもそも、産まれた時は裸一貫、すべてをその手にして、自分としては最高のコンディションとポテンシャルやボルテージをいただいて産まれてきた訳だから、その後の生活でそれを使い果たし死に至るまで、有効に心身を活用しなくては大自然の法理摂理に叶わない。
そんなことから、今日は少々くたびれていたので、オーディオやモニターのリモコンなどの調整をしただけで、ソファーに転がってこのブログを書いたり、友人のビデオ撮りファイルの整理をしていたら、先月風呂場のガス工事をしてくれたガス屋さんが様子見を兼ね世間話しをしにやってきた。久しく四方山話に花が咲き、新たな絆に楽しい時を過ごした。
そんな訳で、これからは都市ガスへの心配や不安も一切なくなり、絆やご縁のありがたさを痛感した。
すべてに感謝したいと思う。