グローバリゼーションで民族の伝統や文化を失う国もあれば、反対に世界的にその国や民族の特性が評価され愛され尊ばれ、強い影響力を持つものもある。
まあ、経済発展してもその発展が文学芸術に還元される国は、それなりに民度が高い訳で、フランスなどはその筆頭である。
その点、日本も国民的に引けはとらないが、政界や財界にそれなりに理解があるかと言えば疑問が残る。まあ、諸先生方は世間的には文化芸術に理解があるような素振りはしても、現実には極めてプラグマティクで、権力や利権の確保に全力を傾けている訳で、さしずめ文化芸術は酒のツマミで、公的な社会資本や資源が投下されることはまずない。つまり、日本における地域文化への理解や支援はグローバル化によってかなり薄くなっているかに思える。
まあ、大半は役に立たない戯れ程度にしか思っていない訳で、「人間がパンのみで生きる存在」でないことへの理解も薄い。そんな社会だから、極めて生き難い社会と言える訳で、本心をひた隠しに建前論で社会が運営されており、コロナ禍やウクライナ紛争下の不安不穏な社会情勢下に、創意工夫し細々にも規模を縮小しながらも、自分等の取組や事業を進めている団体や主宰者の努力には並々ならぬものがある。
まあ、本心を隠せば、その反動で不健全な趣味嗜好や思考や思想が蔓延る訳で、そんな不安定な人心に漬け込む悪徳商法紛いの宗教組織もかなりある訳で、訳のわからぬいい加減なスピリチュアルなサイトがネットにゴロゴロしていることはご案内の通りである。
まあ、文化伝統や芸術の発端は、日々の営みの中の感覚や感性や感情を何らかの形にして想いを共にしていくことにあり、詩歌や音楽やダンスやバレエなど、数え上げたら切りがない。
まあ、健全な娯楽や遊びを社会的に広めていけば孤立することも少なくなり、反社会的な行為や活動も自然と少なくなっていく気がする。
毎年60万人の人口減少が現実となるなか、子供は益々社会の宝であり、より健全に社会全体で擁護していく義務が大人には託されている。
そんな訳で、地域社会の伝統や文化や風習を省みず、利権や権力の獲得に邁進し、カジノや公共事業への海外資本の参入や諸外国からの資本投資や移民を受け入れることばかりしていては本末転倒である。
世界の動向や社会秩序や制度はそう簡単には変わらないが、少なくとも私達一人ひとりが小声でもいいから本音を語ることが次第に大きな勢力となって、より暮らしやすい社会の実現に繋がっていていくものと思う。
時代は変化している。私達の本質に気づけば、必要なものは限られている。その意味から、貝原益軒の養生訓にある人生の処し方が思い起こされる訳で、故安倍元総理のピアノで昭恵夫人が歌う震災ソングなどは、ある意味、人生の本質を語っている。
すべてに感謝して、今日も頑張りたいと思う。