想い

コロナで関係性が絶たれれば、テレビやスマホに依存するのは当たり前、ご近所では一日中テレビはつけっぱなし、外出したり乗り物に乗ればスマホ片手の人ばかり、今や小さな子供まで持ち歩いている始末、スマホを持たぬ人は希である。

まあ、コンビニやドラッグでも、スマホならクーポンの使用やポイントの付与が容易だから、奥様方が使わない訳がない。当然にして、マスメディアの洗礼を知らぬ間に受けている訳で、今日的な意識形成が為されていると言っても過言ではない。

ご案内のように、コロナやウクライナで、今や世界は人や物の流通が滞り、品不足による物価高やインフレの嵐に晒されているが、さらにそれに異常気象や情報操作も加わって、かなり過酷な利権争い戦闘状態にあることは容易に想像がつくが、日本壊滅に至る危機感は感ぜられない。

まあ、創られた欲求や生き甲斐の真っ只中をタダ只管突き進んでおり、最早何が何だが分からない。ローマ神話の女神ミネルウァが従える「ミネルバのフクロウ」は知恵の象徴とされているが、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルが『法の哲学』の序文で「ミネルバのふくろうは迫り来る黄昏に飛び立つ」と述べているように、法律や哲学は今現在や過去のことを可視化できても、未来を見透かすアロンの杖にはならない。

そんなことから、成り行きに翻弄されながらも自分らしく生きていくしかないが、その想いや欲求も誰かの意図するものであったら始まらない。そんな馬鹿馬鹿しい話しはないように思うが、人間が社会的な生き物である限り常に付き纏う「影法師や浮遊霊」のようなもので、常に意識をモディファイしないと自分らしくは生きられない。

まあ、自分の魂を売り渡しても自覚さえない人もいるが、仮に誰かのゴエムや家畜になってしまっても、悪戯に反骨しても多勢に無勢、世界の流れの中に押し流されていまうのが関の山、流れに乗って上手に泳いでいくしかないように思う。

そんな訳で、世界は間違いなくグローバル化によるフォーマット化、左翼化が進んでいるが、そんな中にも、お当地文化や地域文化の喪失だけは何としても避けたいものである。なぜなら、そこまで拘りを捨てたら、民族の伝統や文化までもが根こそぎもぎ取られ、民族の意識や価値観なども風前の灯となってしまうからである。

まあ、世間はいつも「利得や効率」ベースで動いているが、そんな中に、いつまでも幸せがあると信じていては、末路は単なる世間のパペット、創られた生き甲斐の搾取に後悔することになる。

そんな想いに、今日も大地や天空から元気をもらい新たなる自分に生きていこうと思うが、ばら蒔かれた意識に生きれば自ずと諦め、中庸になるから不思議である。

改めて、すべてに感謝したい。

技術革新は侮れない。新たなる時代は既に始まっている。頑張りたい。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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