田中角栄さんや、今の岸田政権下の行政のあり方や裏金問題からしても、学歴が政治や行政に必要かどうか疑問である。諸外国(特に中東)では学歴はお金で買えると言うから、そんな程度に学歴を捉え、もっと幅広い視点から人物評価をすべきではないかと思う。
嘘も方便、時には優しい嘘も必要になるが、基本的に「嘘は泥棒の始まり」真実に向き合わず虚栄と強欲から人を欺く行為に他ならない。しかし、人類の繁栄が虚栄と虚構にあるからして、人に夢や希望を与える嘘なら許されるものかも知れない。
そもそも、明日のことは誰にも分からない。地獄と天国の瀬戸際を誰もが彷徨っているわけで、立ち止まって過去や現実を悔やんでも仕方ない。時には虚構の中に夢や希望をもって進んでいくことも「生きる方便」である。
人生は憂いと悲しみに満ちている。そんな現実に悲観しても仕方ないし、人様にご迷惑のかからぬ嘘に夢や希望を見出だして生きるのも「生きる知恵」である。ある意味、そんなところに宗教の本質があるのではないだろうか。