感情は無理して押し殺す必要はない。なぜなら、感情には消費期限があるからで、歳を取れば感覚や感性が鈍くなって、自然と感情の起伏がなくなり、大概のことはどうでもよくなるからである。
だから、感覚や感性に従って感情を爆発させて生きる方が、時に叶う自分なりの人生を送ることになる訳で、無理やり世間の常識や決まりに自分を合わせることはない。
然れど、人間は社会的な生き物だから、そこはそれなりに集団の決まりに従わなくてはならない訳で、その辺の兼ね合いが難しい。
そんな中にも、物事は「類は友を呼ぶ」で、同じ波長や周波数に同調して寄り集まる傾向がある訳で、裏を返せば、日頃の付き合い方次第で、生きる周波数帯が変わってくるのではないかと思われる。
酒飲みは酒飲み、音楽好きは音楽、サッカーやテニス、ウォーキングやジョギング、ガーデニングやDIYなど、正に「蓼食う虫も好き好き」である。
そんな趣味嗜好も余りに入れ込み過ぎると、これまた依存と中毒に社会生活に支障が生じることになり、誠に宜しくない。しかも、人間は「分かっちゃいるけど止められない」依存と支配のループに無防備なところがあって、これまた困ったものである。
まあ、ある種の病気である。そんな病気に向き合って少しでも軌道修正をしながら生きるのが現実であるが、一発勝負にいかないところがもどかしい。
そんなもどかしさに時には癇癪を起こすが、怒ったところで基本的な原因が取り除かれる訳もない。要するに、生活は手間暇がかかり面倒な訳で、その手間暇を惜しむところに人間の病理がある。
世俗はそんな手間暇を様々な手法や便利グッズで解消しているが、ドラッグや交わり、信仰や宗教、便利グッズなども、それなりの手当てやメンテが必要となり、これまた新たな手間を生じる。
となると、なるべく交わりや物は持たぬ方が手間が省ける訳で、正に本末転倒である。所謂ミニマリストの思考だが、これまた健康志向の日本誠真会の吉野敏明の「四毒抜き」のようなもので、今日的なライフスタイルからして、厳格に実践すると社会生活に支障がきたすし、今日的な生活の楽しみが半減してしまう。
そんなことから、適度に便利な手法やグッズは使いつつも、手間暇を惜しまないのがいい訳で、気が進まなければ、時間を置いたり止めてしまうのがいいと思う。
それにしても、今日は寒い。炬燵に座ると何も出来ないから、台所のストーブで温まりなが、このブログを書いているが、先ほど洗濯物を干すのに手が悴み、其処らにあるものに当たり散らしたくなった。ある意味、怒りの感性は衰えていない。
そんなことで、掃き出し窓を開けると畑の雀が一斉に雀が飛び立つ。改めて、生命の営みの意味を問いたい。すべてに感謝する次第である。