願いと信仰

自分の生い立ちや運命を嘆き悲しみ、悔やみ、諦め、耐えることが信仰ではない。信仰とは憧れであり夢であり希望である。想いであり願いである。明日の自分を形創ることが信仰なのである。

今考えていることが明日の自分を創るのである。今日お互いに考えイメージしていることが一年後の、さらに将来の家庭や職場を形創るのである。今ある自分はこれまでに自分が想い描いきた自分なのである。

想いは必ず実現する。形となるのである。飛行機も宇宙船も、自動車もスマートフォンも、昔からあったものではない。私たちの想いや願いが形となった「私達の想いや願いの結晶」なのである。

だから、自分の願う姿をはっきりと具体的にイメージして強く願い祈るのである。そうすれば、心の奥底に宿る魂が呼び起こされ神仏の想いと交わり、その想いが叶えられるのである。

信仰とは闇雲に神仏の教えに自らを委ね救われることではない。過去の憂いや悲しみに決別し、勇気を持って明日への想いに挑戦していくことである。類は友を呼ぶ。想えば必ず、すばらしい仲間に出会い、豊かな神仏の恵みと癒やしと安らぎを共にすることができるのである。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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