日常において、そうドラマティックな出会いがある訳ではないが、いつ、そんな出会いがあるのか分からないのが人生である。それも、そんな出会いを心の何処かで追い求めているのが人間なのである。
男性なら美しく芳しい香りの女性に心を奪われないものは誰一人としていないだろう。女性は神様がお創りになった最高の芸術作品だからである。セクシーでありミステリアスであり、色香に香るその美しさを賛美しない芸術家はまずいないだろう。そして、男と女が織りなす出会いと別れがあるからこそ、人生は楽しいのであって生きるに値するのである。
時に、人間は時空を超えて未来に生きると言うが、強く想い願うことは未来を信じることであり、確かに過去をみてはいないと言える。想い願うことは未来を見据えることであって、未来に命をつなぐことでもある。明日を信じ、明日に想いを馳せ、あるべき姿を強く願う意志でもある。
聖書には、私達が遠く天空の彼方からこの地に舞い降り再び天空に帰っていくと書かれているが、人は想いの中に生き、もし仮に、その想いは永久に生き続けるとするなら、今何を想うかが大切である。今あることに感謝しつつも、こうありたいと強く願わなくては、道ばたに咲く一輪の花の想いにも私たちは劣ってしまうのではないかと思うのである。
それゆえ、人は人として生まれた限り、多くの出会いを信じて、たくさんの人と分け隔てなく交わることが人生の勝利者のように思えるのだ。男は男らしく力強く誰にでも親切に、女はいつも優しく綺麗にしていてこそ、そんな出会いをなお一層ドラマティックで忘れ得ぬものにしてくれるものと思うのである。