「只今がその時、その時が唯今なり。」とは、有名な葉隠れの言葉だが、今を真剣に生きなくては私達に明日はない。なぜなら、大きな転機がいつ訪れるか分からないからである。その時を悪戯に恐れることはないが、それなりに心構えをしていないと、チャンスはものにできない。

つまり、天の「棚から牡丹餅」を手にするには、日ごろの心構えが大切である。株や投信で儲けたければ、それなりに世相に敏感でなくてはならないし、信仰心がなくては目の前に展開される事象の中に、御仏の慈愛も神の愛も見出すことができないからである。

要するに、何事も、私達は自分なりの視点で物事を見聞きし判断して生きている訳だから、今ある自分はその結果である。そう思って、自分を省みれば、よくぞここまで、生き延びてきたものと思うが、それには、家族や仲間の支えがあったからに他ならない。改めて感謝したい。残る余生は、少しでも世間を広くして、自分なりに目標を定め毎日の生活を律していこうと思う。

ところで、「いつまでもあると思うな親と金、ないと思うな運と災難」と言われるが、私の知るクリスチャンは、「お金や人間は信頼できない。」と真っ向から「お金と人」を否定するが、自分も現体制の社会制度の恩恵の中で、それに頼って生きていることを全く無視した発言である。人やお金は、確かに信頼できないかもしれないが、それゆえに、仕事に励み生活を安定させて、人とのお付き合いを大切にして生きているのである。一般常識や社会の礼節を欠き社会制度に反目するような教えを説くのは問題である。

つまり、本来、信仰とは、与えられた自らのタレントに気づき、そのタレントを社会に役立てるものでなくてはならない。家庭や地域や職場の仲間と共に、自分の力を発揮して社会に役立つ勇気を与えてくれるのが、真の信仰である。そうでなくては、「宗とする教え」とは言えないと思う。

信仰とは日々の生活の何気ない心の持ち様であって、特別に何かしなくてはならないと言うものではない。決して、組織や利益を誘導するための信仰であってはならないし、漠然とした不安は尽きないが、それに打ち勝つ勇気を与えてくれるものだと想う。

そんな訳で、今日も家人と我が家のワンちゃん達の信頼を勝ち得るよう、頑張うと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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