「旅は道ずれ、世は情け。」とは、「旅は連れがある方が心強いように、この世を渡っていくには互いに支え合う人情が大切である。」という意味である。正に日本人の情の深さを、さらっと表現した粋なことばである。
「神との契約」に基づくキリスト教文化圏の助け合いの精神とは、一味も二味も違う精神性に、浮き世を生き抜く日本人の心意気を感じるのである。
相手を思い遣る心に理屈はいらない。私達日本人の心の奥底には儒教の教えが根付いているので、日本人なら誰しもが持ち合わせている心である。神との契約や小難しい理屈を捏ね回さなければ得られない教えとは、一線を画す想いなのである。
それが、今日は「いじめ」が文化になっている。義理人情を重んじる任侠の世界でも苛めは恥ずべき行為である。親分が子分を思い遣り、子分が親分を慕う阿吽の呼吸がなくなってしまったのである。それゆえに、社会の秩序や礼節は、法律や神に掟に頼らざるを得なくなるのである。
多様化する今日の社会において、神との契約に生きるのか、義理人情に生きるかは、人それぞれである。しかし、神の国は天空のものであって、地上においては、義理人情に生きるのがいいように思う。
なぜなら、義理人情に生きれば、今すむ社会の伝統や文化に自然に溶け込み、自ずと衣食足りて礼節を知り、多くの人と交わって時空を共にすることができるからである。そして、それなりに就職し結婚し退職して孫が生まれ、世の務めを果たすことができるのである。これこそが、天空にいたる道として、神が望む道ではないかと思えるのである。