駅伝

IMG_0396_20140102_142816夕刻の5時を告げる唱歌「ふるさと」のメロディーで目が覚めて、窓辺に目をやると日の暮れるのが昨年の暮れの頃より少し伸びたように感じた。台所でカタコトと物音が聞こえる。夕食の支度である。

9日に亘る正月休暇も何をすることもなく今日は6日目である。昼寝の前はテレビで恒例の箱根駅伝を観ていた。曲がりくねった箱根路がテレビ画面に映し出されると、箱根には毎年妻や仲間と出かけていたので、その時の想いが脳裏にくっきりと蘇ってきて、まるでその場に居合わせているような錯覚を覚えた。

大学名が書かれたノボリ旗が沿道に幾本も冬の風に靡いていて、そこを渾身の想いを込めて走る学生の顔には若人の想いが漲っていて心地よい。傍にいる妻が「この子可愛いわね」なんて別な視点で私にコメントしてきた。そして、過去の駅伝で印象に残る選手のことを、その時のユニフォームの色まで出して話し出した。女性とは男性にはない感性で駅伝を観ていることが分かって面白かった。

エンジのユニフォームは早稲田、ペルシャンブルーは地元山梨学院くらいしか覚えていない私には、学生の顔つきやユニフォームの色までは記憶にない。正に若さは宝である。そんな若人も何年かすれば、オジサンやオバサンになってしまうのである。せめて気持ちだけでも若くありたいと思った。

そうこうしている内に、地元山梨学院大学のオムワンバ選手が疲労骨折で途中棄権となってしまった。残念である。しかし、代わりに母校の青山学院が5位に入賞したので嬉しかった。また、校友会で寄付をしなくてはならなくなりそうである。

ところで、駅伝を観ていて感じたことは、人間の想いの尊さである。知人に地元サッカーJリーグのヴァンフォーレの熱狂的なサポーターがいるが、大きなノボリ旗まで作って応援するのである。とても損得では理解しにくい世界である。箱根路に立ち並ぶ各大学のノボリ旗もそんな人の想いが形になったもので、想いとは本当に尊いものだと思った。そんな熱き想いをいつまでも持っていたいと思う。

そんな想いから「桃太郎旗を背中に背負って走れば、校威掲揚になっていいのに、そうすれば面白いよな」と何度も真顔で妻に話しかけたら、妻が「何言っての、そんなことしたら走れないじゃないの」と真面目に切り替えしてきたので、思わず笑ってしまった。それでも愛嬌で、かってのOBあたりが実際にやってみたら、まるで戦国絵巻のようで面白いような気がする。

記録はさておき、勝者が勝鬨を「やあやあ、近場によって目にも見よ。遠からん者は音にも聞け、我は東洋大の設楽悠太なるぞえ」とか言ったら実に面白い。そんな話を妻にしつこくしたら、「あなた正月ボケですか」と一掃されてしまった。

しかし、人の想いとはそんなもので、何らかの形で己の存在を証しすることなのである。想いとは互いに想いを伝え合い、分かり合いたいとい言う願いなのである。しかし、その想いは常に揺れ動いていて、自分にも訳が分からないのである。そんな想いを共にしたいと思うのだから、それは至難の業と言える。

極論を言えば、自分でも分からぬ想いを人様に伝えて共にすることなどできないのである。なぜなら、想いは形にすると現実味を帯び、形のよっては野獣の想いと化して色褪せてしまうからである。ゆえに、本当に自分の想いを伝えるには、己の魂を天空の神々につなげなくては伝えられないように想う。

初詣に参拝するも良し、新年のミサに出掛けるのもいいと思う。そんな想いから、今年は4日の横浜のニューイヤーコンサートに行くので、音楽を通して天空に己の想いをつなげてみようと想う。

別にさしたる理由も訳もないが、雪降る想いからこの曲が聞きたくなった。いい曲だと想う。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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