今年もあと数時間で終わるが、今年の紅白には5年半ぶりに「中森明菜」がアメリカのスタジオから出演する。明菜は2010年にひどい帯状疱疹を患い体調を崩して、今もライブ活動を休止しているが、これまでの彼女の様子からすると、どうも現実の世界にうまく溶け込めない女性のように思える。
まあ、人に感動を与える歌を歌うには歌の世界に入り込まなくては歌えない訳で、「歌を歌っている自分が本当の明菜」のような気がする。しかし、明菜ばかりでなく、私達もそれなりにイメージの世界に生きている訳で、感性が豊かで頭のいい人ほど現実の世界にうまく溶け込めないのではないだろうか。
そんな想いに、以前交わりのあった教会の知り合いと久々に電話でお話したが、いつも変わらぬ信仰心には改めて感動した。それは、いくら信仰に生きているとは言え、所詮は現実的な教会内部の問題やそれなりの人間関係がある訳で、それはそれとして己の役割に徹しているところに、何故か想いが重なったからである。
ところで、最近の報道では、理研の小保方春子氏のSTAP細胞はついに有望な仮説に終わってしまったが、私達がたった一つの細胞から幾つにも分裂して、手や足や、目や耳や鼻ができ、また、神経細胞を通して日々日常において、身体がすべての事象に統合して機能している訳で、このことは正に神の御業としかいいようがない。
一方、京都大学の山中伸弥教授が創り出したIPS細胞は、再生医療への応用が期待されているが、神の領域に踏み入る医学の進歩には目を見張るものがある。不可逆的な細胞分裂や神経細胞を通して、見えぬ何らかのエネルギー(意志)により、様々な生体情報が微量な電流や水溶液の受け渡しで為されている訳で、その営みの目的は何なのであろうか。
そんな想いに、日常を振り返ると、勿論三度の食事は大切であるが、それ以上に、多くの人や犬や猫などの生き物との触れ合いや、目や耳を通して得られる実体のないやり取りによるものも多く、如何なる生活の場においても、情報のやり取りは食事以上に欠かせないもののように思える。
特に、古代における太鼓や狼煙に始まり今日のスマホに至るまで、情報のやり取りは文字から写真や動画に至るまで重要で、図らずも今日は、自分の目や耳で捉えられないマイクロ波でそれらをやり取りしている訳で、文明が高度になればなるほど、実体のないテレパシーやイメージと言ったものに軸足が移っていくような気がする。
まあ、プレゼントなどもプレゼントそのものより、その想いに意味がある訳で、また、洋服やクルマなどのデザインなどもデザインそのものより、そのデザインがイメージするものに価値がある訳で、言い換えれば、いつの世も私達にとって価値のある大切なものは、実体のないイメージにあるように思われる。
そんな訳で、私の好きな歌姫がどんな歌を披露してくれるか楽しみであるが、この紅白が新たな出発になるステージになってほしいと願う次第である。