いつの世にも、事業で得た巨万の富をして大庭園や別荘を創り上げ、四季の風情を楽しむ富豪がいるが、そんな至福の想いもほんの一時のことで、死んであの世に持っていける訳ではない。
凝りに凝った別荘の間取りや建具の装飾、庭園の庭石や池や庭木の配置なども、その造形美には巨万の富を要したものと思われるが、それを維持するのにも大変な人手とお金がかかる訳で、これまた大変である。
それに比べ、地元の裏山に登れば、眼下には甲府盆地が広がり、山間には勇壮な富士が見える。時に、都会に出向き笹子峠を超えて甲府に向かう帰りの電車やクルマの車窓から甲府盆地が見えると、巨額の富を投じて創り上げられた都会の情景も、いともちっぽけなものに見えてくるから不思議である。
ところで、文化遺産に指定されるそんな建物や庭園は、大自然の風情を身近で堪能するために創り上げられたものであろうが、大自然の絶景に比べれば、人間の心の狭隘さと浅知恵が見せつけられるような感じがする訳で、見方を変えれ、文化財に残るようなお金の使い方も、甚だつまらぬものに思えてくる。
そんな想いに、林野の草庵に「虫の音と共に」暮らすのも、これまた貧乏人ならでの風情があり、見捨てたものでもない。財を為し、大自然を自分流に創り替えていくのもいいが、自分が自然に近づいていくのも、これまた人間の本来の姿であるように思え、そう考えると、私達が今目指そうとしている社会の在り方も考え物である。自然破壊しながら、自然に回帰しているからである。
そんな想いに、つくづく気楽な貧乏人で良かったと思う訳で、ここいら辺りで、私達の社会の在り方を皆で考えす必要があるように思う次第である。