富士山では昨日、平年より11日遅く昨年より5日早く初冠雪があったそうで、山頂は秋を通り越して一気に冬の様相を呈しているようである。
そんなこととは露知らず、昨日は地元の「特定非営利活動法人 大学コンソーシアムやまなし」が主催する「県民コミュニティーカレッジ 富士山ぐるり1周の旅」の学習会に参加して帰宅したが、寒さに滅法弱い私としては、来週予定されている現地観察会が気がかりである。
そんな中、今日はとても爽やかな秋の一日だったので、撮り溜めたビデオを見たり音楽を聴いたりしてゆっくり家で過ごしたが、日暮れもめっきり早くなって、窓越しに西の空を眺めていると、夕暮れにカラスの鳴く声が響く中、階下では3匹のわんちゃんと家人が戯れる声が聞こえる。
こんな穏やかな一日が過ごせる幸せに、シリアではロシア軍が新型クラスター爆弾を使って犠牲者が出ているようである。全く嘘のような話であるが現実である。
「何事も備えあれば憂いなし」とは言え、恐ろしい時代である。まあ、リスク管理はグローバル社会を生き抜く鉄則であるにしても、私達は軍備に代わる何らかの「リスクヘッジ」を持たなければならない時代になったことだけは確かである。
まあ、今は分かり合えなくても、私達は如何なる関係性においても、根気よく忍耐強く対話を通して「戦略的互恵関係」に生きるしかない訳で、その意味からすると、誰もが寂しい存在である。
まあ、それはそれとして、移りゆく季節に想いを重ね、明日からまた新たな気持ちで頑張ろうと思う次第である。秋は寂しい。