Boz Scaggsの「We’re All Alone」は私のお気に入りの曲の一つだが、この「We’re all alone」を「みんなひとり」と訳すより「みんな同じ」と訳した方がいいように思う。俗に言う意訳だが、想いを共にしたい、想いを共にしてほしいと言う想いから発せられる言葉だからである。
ところで、野球界のスーパースター「清原和博」容疑者が覚醒剤保持で逮捕されたが、引退後タレントや解説者では自分の居場所が見つからず、満たされない寂しい日々を送っていたようで、まあ「心の張り」を失ったと言うか、人間の心の弱さを痛感する出来事である。
まあ、人生はそのステージに応じて、脱皮していくと言うか、目的を自在に変えていかないと、過去の栄光に甘んじ、また悪戯に夢を追いかけて無駄に惰性と退屈な日々を過ごしてしまうようで、薬にハマらないまでも、「人ごと」などと笑ってはいられない。
しかも、一薬物は一度手を出すとなかなか立ち直れないようで、「断酒会」とか「ダルク」と言った自助グループで、互いに励まし合っていかないと治らないようである。
そんなことを踏まえると、やはり人間は一人では生きられない、どうにもならないことが分かる訳で、心を重ね、想いを重ね合わせる相手がいなくては生きていけないことが分かる。
時に、甲府では昨日は節分のお祭りがあり、近くの「柳町大神宮」では赤鬼や青鬼が出て豆まきして、春の訪れを楽しんだ訳であるが、最近の鬼達は子供達と楽しく写メしたりして、昔のように子供をやたら脅かしたりしないようで、いい雰囲気である。
「邪気を払い、春の訪れを喜びを持って迎える」そんな風習が江戸時代中期から甲府では始まったと言うが、このようなイベントを通して、気持ちが一つになることが、寂しさや孤独から逃れる秘訣のように思われる。
そんな想いに、「赤ちゃんの微笑み」ほど、弱くして鬼の金棒にも勝るものはない訳で、孤独や孤立から離れ福を呼ぶには、何はともあれ笑っていれば、人が集まり自然と福が訪れる訳で、そんな風に清原さんも考えて、忍耐強く地道に生活を見直し、1日も早く逆転ホームランを放ってほしいと願う次第である。