年末

死ねば魂が解放されるような気もするが、そう簡単に事はすまない。仏教の教えによると、輪廻転生の輪から外れ、二度とこの世に再生しない「涅槃の境地」に至るには、この世に未練があってはダメのようで、高齢者の多くがもっと若い内にいろんなことにチャレンジしておけばよかったと思っている人が大半だから、多分限りなく100%に近い人が、この世に間違いなく何らかの生き物として再生される。つまり、一部の人を除いて、簡単にはあの世には行けない訳で、いろんなものに未練がましい女性は、先ず以て涅槃に至ることは難しいように思う。

ところで、魂の存在を信じるか信じないかは別として、私たちは誰もが、心が解き放たれることを願っている訳で、永遠の命を求め、漠然とした不安と恐怖に苛まれ苦しんでいるのが実態である。しかし、何をしても不安や恐怖から逃れられないのが現実で、趣味や娯楽、嗜好や嗜癖に始まり、学問や精神鍛錬や宗教に至るまで、その意図するところは「心の開放」である。

しかし、世の中は嘘偽りや偽善や矛盾に満ちていて、世間の常識や風俗や習慣、それに社会の決まりや法律や制度や信仰や宗教に至るまで、巧妙に折り重なっていて、とても隠された意図を紐解くことなどできない。また、紐解いてみても、人にはそれぞれ自分が描く価値観や世界観があるからして意味がなく、所詮、この世は妥協と寛容の産物と言える。

そんなことから、お正月の初詣に始まり、読経や写経、ミサや礼拝、座禅や霊所参りなど、心を解き放つ営みを数え上げたら切りがない。

仮にここで、今流行のヨガを取り上げてみても、本来は極めて危険なヒンズー教の修行であることを知る人は稀である。つまり、ヨガポーズのひとつひとつは、ヒンズー教の神々を呼び起こす行為であって、ヨガの頂点を極めるクンダリーニヨガは、尾てい骨付近の第一チャクラ・ムーラダーラに眠るクンダリーを呼び起こし、肉体から魂を解き放つヒンズーの秘法である。つまり、一種の仮死状態になるわけで、肉体の特性が失われ周囲と一体になるわけで、究極のエクスタシーが得られると言う。

まあ、そこまで行かなくても、瞑想や気功でも体内のエネルギーは活性化できるが、体内にはエネルギーが通るルートがあり、それが第一チャクラから背骨に沿って脳天に抜けている訳で、クンダリーが目覚めるとエネルギーが背骨に沿って上昇して頭上に抜け、悟りを得て超人や神となると言われる。

呼吸を整えマントラを唱えながらポーズをし、クンダリーを覚醒する訳だが、それはチャクラに眠る「恰もエデンの園の邪悪の蛇」を呼び起こす行為と酷似しており、ヒンズー教の信者ならともかく、そうでなければ不用意に試みるものではないように思う。

まあ、ヨガに限らず、この種のスピリチュアルなものが持て囃されるのは、如何にこの社会が息苦しく病んでいるかを物語っているわけで、人間が社会的な動物で妥協と寛容の中にしか生きられない存在であるからして、極端な思考による選民意識や価値観や世界観の統一を企てることは狂気の沙汰であり、そんな考えは捨て去って、妥協と寛容の中に、日々日常を平穏無事に過ごすのが私は良いように思う。

そんな訳で、来年は趣味の写真や音楽を通して、日々日常の出会いを大切にして、生きる意味を自分なりに、見つけて行こうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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