DV

経済評論家の三橋貴明氏(48)が、正月の5日に自宅マンションで10代の妻への暴行容疑で警視庁高輪署に逮捕された。三橋氏と言えば、歯切れの良い論調から時事経済評論では定評があり、驚いた人も多かったのではないだろうか。

この記事を知り、わたしは一昔前に痴漢や盗撮容疑で2度逮捕され実刑を切った政治経済学者の植草一秀氏のことや、元都知事の舛添さんの先妻である片山さつき参議員のことなどが頭に浮かんだが、これらの事件に共通して感じたことは、外面と内面を使い分けて生きるエリート達の生き様に、学識や理性が及ばぬ「嗜好や嗜癖や性癖といった人間の本質や本性」が垣間見えることである。まあ、冤罪説もあるが、火の無いところに煙りは立たないから、何とも言えない。

ところで、今回の事件の三橋氏には、中村貴司と言う本名があることも驚きだが、妻が10代であったことも、只ならぬものを感じる。

そんな三橋氏の先妻で作家の「さかき漣」さんが、2年前に意味深なブログを書いており(動画参照)、それを見ると、なるほどDVとは、家庭内のいざこざや痴話喧嘩などとは、全く違う犯罪行為であることが分かる。

私の知人にも、似通った問題で苦悩の日々を送っている人がいるが、私は「外面が良くて内面が悪いのかな」くらいにしか思って聞いていなかったが、どうもDVとはそんな類いのものではないようである。

まあ、自分を取り戻せないような家庭ではホームでなくハウスになってしまうが、夫婦喧嘩の原因調査の3番目に、パートナーの仕草や行動パターンが上げられていることからも、運命共同体でもある夫婦関係はマネジメントが難しく「結婚前は両眼で、結婚したら片目を瞑る知恵」も持ち合せる必要があるように思う。

そんな中、DVがどんな位置づけになるか分からないが、基本的に酒乱のようなものであることに間違いはなく、昔のように女性が1人で暮らしていけない時代ならともかく、今は何でも働き口があるのだから、我慢して嫌な相手にイジメられて暮らす事はないように思う。

まあ、そんな極端な事例はさておき、人は自分のことも分からないのに、相手のことなど分かるはずもなく、そんなことから、如何なる関係にあっても一定の距離があることを認識する必要がある。まあ、隣近所や友人同士のつき合いも程々に親しくなりすぎてはいけないと言われる所以である。

なぜなら、親しくなりすぎるとお互いに依存し、貧しい戦時中のような「しがらみ」に生きなくてはならなくなるからで、強い絆などと言えば聞こえはいいが、義理人情も行き過ぎれば苦痛になり「やせ我慢」が必要になる。まあ、それだけ人間はわがままな生き物なのである。

まあ、それが娑婆だから仕方ないが、それでも、涼しい林野に安処して、季節の流れに身を任せ、誰でもいいから徒然の想いを語り明かしたいものである。

しかし、そんな想いの中にも、私達は様々なものを身に纏い「仮の自分」を演じてしまう訳で、それは今日の社会が嘘偽りや偽善や矛盾に満ちた偽装社会であることに帰着するような気がするが、偽善にあらねば生きられぬ世相に、誰もがストレスを感じるのではないだろうか。

そんな中に、自分を解き放つものが、DVや酒や女やギャンブルやドラッグではあまりにも寂しいし、不倫や離婚や再婚など、女性の社会進出に伴う家庭のあり方が社会問題化する中、男女の性差や心理や思考パターンの違い等について、より掘り下げた社会的なアプローチや認知や対策が立ち遅れているような気がする。

いずれにしても、この世には男と女しかいないわけだから、お互いにその特性をよく知りよく弁えて、いずれの関係にあっても、着かず離れず楽しくやればいいと思うが、それには、不断の努力と経験と知性がものを言う訳で、総じて、それなりに魅力があり、誰とも良好な関係性を維持できる人は、状況判断が早く深みにハマらぬ知恵を持ち合せているように思う。

そんな訳で、新春の日差し中、その温かさと喜びに、身に纏う鎧を脱ぎ捨て、今年も既成概念や固定観念に囚われずに、新たな出会いを信じて、自分らしく生きていきていこうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
カテゴリー: 未分類 パーマリンク