先週インフルエンザにかかった孫の世話をしてから、妙な咳が出るようになって体調がすこぶる悪い。それで医者に行って、レントゲンや心電図まで撮ってもらったが、肺がんや結核や肺炎の疑いはないとの診断で安心はしたものの、変な咳は薬を飲んでも止まらないし、肩から首にかけて痛くて夜も眠れずに、精神的にも肉体的にも追い詰められた感じである。
そんな中、日本の保守の論客である西部邁さんが多摩川に入水自殺したのはショックで、改めて西部さんの著作を読み返してみたが、己の精神性の幼稚さを恥じた次第である。戦後70年、私たちの生活は確かにレベルアップしてきたとは言え、これから先、孫たちが生きる時代は、果たしてどんな社会になるのだろう。
少なくとも言える事は、生涯現役で働く世代になるわけで、今日のような利益と効率を追求する社会では、途中で息切れして、とても生涯現役で働くことなどできないと思う。
それに、リタイアして気づいたことだが、如何に私たちは世間の常識に囚われ同調圧力に屈して、生き甲斐の搾取の中に生きてきたかである。
そもそも戦後の民主教育で、私たちが、自由や平等、偏見や差別の排除、法による支配によって、何を手にしたと言うのだろう。
天変地変、武力衝突、金融崩壊等といった国難おいてそんな言葉や概念が役立つと思えない。どんな困難にも、生き延びていくには、なんといっても家族や地域共同体の結束力であって、そこには自由や平等などと言う言葉は関係ない。
本当に必要なのは、「正義、親孝行、勇気、勤勉、誠実、恥と誇り」であり、その意味において、戦前の教育の方が勝っている。
そんなわけで、もう具合が悪いので何でもいい。どんなに私利私欲に長けた日本のグローバルエリートでも、自国の崩壊を喜んで見過ごす馬鹿もいないだろう。
それにしても日本の政治家は政党を離れて、もっと自分の信念を貫いて語ってもらいたいと思う。
そんな思いに、今夜こそは咳と肩痛が治りよく寝れて、元気になってまたいろんな人と会いたいと思う。