お盆

今日はお盆の入りで、涼しい朝の内にお墓参りして帰宅すると、何だか一日の仕事が終わったような気がして、クルマから降り、庭でしばらくボケーッとしていると、妻が久々にワンちゃんの写真を撮ってくれと言う。それで、カメラを持出し撮ってはみたものの、何かしらワンちゃんも精彩を欠いて写っている。

まあ「写真は真実を写すから写真」なのだが、矢張り一瞬が勝負で、今回のように言葉が分からない動物が相手の時は、マニュアルでピント合わせしなくてはならないオールドレンズは不向きで、ピント合わせのイライラがダイレクトに相手に伝わってしまい、何処となく不安げに写ってしまう。そんなところは、動物は誤魔化しが利かない。

ところで、これがもし仕事なら、クライアントの言う通りに撮らなくてはならない訳で、成果品の出来不出来とは別に、乗り気でもない写真を幾ら撮っても満たされないし、何処か厳しいものがある。

そして、そんな仕事ばかりしていると、そんな仕事しか舞い込んで来なくなり、仕事を通して自己実現することが難しくなると思う。

ところで、そんなことは、職場や友達や家族との関係にも通じるものがあり、勇気を持って自分を信じて、自分を出していかないと、誰れからも信頼されない虚しい関係に生きる羽目になるように思う。

そんなところが、男性は女性と違って、横の関係より縦の関係に生きるので、侘しいところで、仕事オンリーな人ほど寂しい老後を送ることになると思う。

まあ、人間は自分に生きるほど強くはない上、他者に依存したり同調したりして生きてみても、真の信頼は得られないところもあって、自律して生きることの難しさを改めて痛感する。

まあ、人生は全て、表と裏、陰と陽、理性と野生、自我と非我なるもので、確かに産まれ落ちた時は非我なる存在であっても、その後に芽生える自我により、私達は己の存在を証しして生きている訳で、ある意味、信仰も神仏に縋って、己の存在を証しして、自己の存在理由を確証しているに過ぎないのではないだろうか。

まあ、早い話が、非我に生きられずに、自我に生きることになるが、やはり自分は自分なので、どんなにダメでも、神仏を信じながら、自らを信じて、勇気を持って生きるより仕方がないように思う。

そんな訳で、夕刻は妻に薦められるままに、玄関先で迎え火を焚いたが、暫くしたらゲリラ豪雨に見舞われ、時折響き渡る雷鳴に我が家のワンちゃんは怖くて吠えまり、ずいぶん賑やかな「盂蘭盆会」になった。

しかし、いずれにしても、今日から3日間は、ご先祖様や亡くなったワンちゃんやウサギやオカメインコ達が我が家に戻り一緒にいる訳だから、こんなに楽しく喜ばしいことはない。

全てに感謝し、生きる意味を改めて考えてみようと思う。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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