クリスマス

ご案内のように、日本の宗教人口は、神道と仏教が大半を占めており、文化庁の『宗教年鑑』平成29年版によると、信者数は、神道系が8473万9699人(46.5%)、仏教系が8770万2069人(48.1%)、キリスト教系が191万4196人(1.1%)、諸教(神道系・仏教系・キリスト教系以外のもの)791万0440人(4.3%)、合計1億8226万6404人で、これは日本の総人口(約1億2600万人)のおよそ1.5倍であることから、複数の宗教に「信者」となっている人が約半数いることになる。

東西の文化文明が衝突し、世界各地で争いやテロが絶えない今日、 グローバリズムに伴う富の偏在や格差の拡大から「不安と閉塞感」が漂う世相を反映して、宗教は私達の心の拠り所として、家族関係や帰属する組織や社会や国家に取って代わり、私達に安息を与えてくれるものではないかと思うが、戦後の混乱期を経ても、イスラム教やキリスト教が既存の宗教を押し退けて日本人の心に浸透しなかったのは、森羅万象に神仏の存在を見る独特な世界観によるものではないかと思われる。

その一方、お隣の韓国では、儒教の国であり血族による結束と支配の国にも拘らず、国民の約3割が血族の結束を乗り越えイエス・キリストを父とするキリスト教徒になっている訳で、何となく腑に落ちないものがある。聞くところによると、同じキリスト教でもかなり新興宗教に近いキリスト教が多いようで、歴史も自分達に都合の良いように書き換えてしまう国だから、何とも言えない。

いずれにせよ、依存や支配から自律して、自分に生きるには、何かしらの信仰心が必要になるものと思われるが、こと宗教となると皆似たり寄ったりで、何故か人が集まり集団組織になると碌なものにならないから不思議である。

そんなことから、人と交わり親しくしてもあまり心の奥底まで深入りしないことが、自分にも相手にも心地よく、良好な関係を長きに渡って保つ秘訣ではないかと思う。

まあ、一般的にお互いにリスペクトする間柄では、必然的にプライバシーを守り一定の距離を置くようになるから、寂しいところもあるが、私達は皆んな生まれてくる時も死ぬ時も一人だから、自律した人はいろんな意味で乳離れが早いように思う。

そんな訳で、今週末はクリスマス、さらに大晦日には紅白を楽しみながら年越し蕎麦を食べ、元旦には氏神様に初詣し、お節やお屠蘇を頂く訳で、余計な心配をしなければ、未来は明るい。

そんな想いに、昨日は日中は暖かったので、久々に恵比寿のガーデンプレイスにクリスマスツリーを眺めに立ち寄ってみたが、夕刻に向かいちょっと寒くなって、私的には暗くなるまで待つのが辛く、横のベンチで楽しそうに夢を語る若者やカップルをよそに、にわかに熱盛りの蕎麦が喰いたくなって、駅前の立ち食い蕎麦に直行した次第である。

歳は取りたくないものである。ツリーを観ながらテイクアウトのスナックを頬張るより「駅の立ち食い蕎麦」の方がいいとは、トホホ、これではバカラのシャンデリアもムードもあったものではない。卒婚どころか卒恋し「花より団子 色気より食い気」に走る新たな自分を発見した次第である。

そんな訳で、やはり一人は寂しい。カメラ片手に今年も相変わらずクリぼっちだが、失恋ならまだしも卒恋にならぬよう、新たな出会いを信じて、今年も一人クリぼっちを楽しもうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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