新元号

新元号「令和」の二文字は、万葉集巻五の「序」にある「梅花の歌」32首から引用されたもので、この歌は大伴旅人を中心とするグループによって詠まれたもので、「序」は「歌」と異なり漢字を使用した漢文体で書かれていることから、元号の出典先に選ばれたものと思われる。

初春の令月にして、気淑(よ)く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす
新元号の公表後、安倍晋三首相は記者会見で談話を発表し、令和について「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ、という意味が込められている」と説明する一方、悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、「令和」に決定したとの言葉を添えている。なお、出典とした万葉集に関しては「我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書」される。

新元号にある「令」は、令息とか令嬢と言った言葉からも「良い」と言う意味があるが、ひざまずく人に物事を申しつける命令の意味もあり、令和を漢文調に読み解くと「和たらしむ」とも読める。

まあ、君主が元号を定める由来は、君主は空間だけでなく時間をも支配するとすると言う思想に基づくもので、正に私達国民は天皇陛下に全てを捧げる臣民と解することもできる。

しかし、そんな難しい解釈はさておき、最近は政治思想や宗教の違い、帰属や性的嗜好LGBTなどと言った「自分の立ち位置」を最初から明確にして、お互いに持論を転換主張して譲らないことから、分断や分裂が避けられない時代でもあり、そんな世相からして、より高い次元による権威に基づき「和たらしめる」ことも、合意形成へのきっかけや糸口になるのではないかと思う。

時に、今は桜前線真っ只中で、皇居の乾通り一般公開なども平成最後となることからいつになく盛況のようであるが、これが仮に公開されなくてもクレームをつける人もいない訳で、日本国民の皇室に対する敬愛と尊崇の気持ちには特別なものがある。

それ故に、この絶対とも言える権威を利用するようなことがあってはならない訳で、政治権力や教育やマスコミに組するものは、諸外国の圧力や邪悪な勢力の誘惑や脅しに負けないで自分を律して、皆んなの模範となるような生き方を示してほしいと思う。

とにかく、私達は一人では生きていけない。安全安心便利快適な都市生活も、必ず誰かがその責務を担っている訳で、他者や社会への奉仕や奉公と言った感謝と思い遣る心がなくしては、私達は幸せな生活を実感することはできないと思う。

確かに、お金がなくては何もできないが、自分の想いや夢を叶えるために、お金の奴隷になってしまったら元も子もない訳で、日産のゴーンさんのような事例は極端なものではあるが、大なり小なり私達もお金の奴隷や虜になってしまい、自己中心的な考えに取り憑かれてしまいがちである。

そんな想いに、今日も恵みをいただいて元気なので、新元号に肖り、夢と希望を持って精進して、自分なりに晩節を飾る花を咲かせていこうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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