アセクシュアル


LGBTやSOGI(どの性別を好きになるか、ならないかを表す「性的指向 Sexual Orientation 」や、自分の性別をどう認識しているかを表す「性自認 Gender Identity 」の頭文字を取った言葉)は聞いたことがあるが、Asexual(アセクシュアル)は、恋愛や性的指向を表すスペクトラムの中でも、取り上げられることが少ない概念で、アセクシュアルを自認する人は、恋愛感情やプラトニックな愛情を抱くことはあっても、相手に対して性的欲求を持つことがない人達を言うらしい。
しかし、どんなセクシュアリティにも言えることだが、アセクシュアルも例外ではなく、一人ひとりそれぞれの感情面での欲求というスペクトラム上に存在する人達だから、単一の定義で一括りすることはできなし、してはならないと思う。

また、つい最近までメンタルヘルスの世界では、アセクシュアルは障害と位置づけられており、ここにきてカミングアウトする動きが出てきたのは、自分の感覚や「自分が何者なのか」知ることが私たちにとって如何に大切なことなのか伺い知れる。

言い換えれば、それだけ、私達は性的に傷つき易く脆い訳で、下手をすると命取りになり兼ねない問題だからである。しかも、今日ほど屈折した愛が社会的に認知されてくると、これもまた反対に、非常にややこしく迷路に入り込んでしまったようなもので、当事者も周りも理解と対応に苦慮する。

まあ、私的には如何なる関係も寛容と妥協の上に成り立っていることから、旅は道連れ世は情けではないけど、その場その場を出来る範囲で楽しくハピーなものにしていけばいいと思うが、これを法律や制度上のものとして規定していくのはどうかと思う。なぜなら、制度化すると却って偏見と差別を生むからである。

そんな訳で、最近異性に惹かれても親密な関係になりたくない若者も多いようで、これもまた時代が求める愛のカタチである。そんな当世風なメンタルな視点から、今日的な都市問題を考えてみるのも面白いのではないかと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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