ポンチョ

朝から雨の時は、コンビニで買った大きなビニール傘をさしていくが、 ちょっと雲行きが怪しい時は、何年も前に買った超軽量の折りたたみ傘を リュックに入れていく。梅雨時は傘の出番が多くなるが、とにかく傘は手塞ぎで、買物時には、これ程邪魔なものはない。そんな矢先、以前使っていたバッグからポンチョが出てきた。

このポンチョは、3年前に育爺を引き受けた時に買ったもので、 雨の日に近所の小児科に孫娘をカートで連れて行くのに買ったもので、張り込んで買っただけあって、蒸れずに快適でとにかく重宝した。今は殆ど使用する機会はないが、ドシャぶりの雨の中、このポンチョを羽織ってカートを押して小児科に通ったことが懐かしい。

ところで、モノにはどんなものでも、何らかの想いが込められているから、作者や贈り手の想いなどを考えると、侮れないものがある。だから、人の物を強引に奪ったり、捨て去ったりするのも考えもので、そんな中にも、キャバクラ嬢が彼氏のプレゼントを簡単に換金できるのは、元はと言えば彼氏の良からぬ魂胆にあるから面白い。

まあ、人であれば、因縁、ご縁、出合いになるが、夫婦の前世は「仇同士」などと言われ、親子関係などもかなり因縁が深いと言われる。 そんなことから、離婚や別居なども病気と同じで一概に否定的に考えないことである。

まあ、一般的に子供は成長すれば親元を離れていくし、別に不仲でも何でもない。反対に、何時までも親元に居る子供もいるが、その辺のことを考えてみると、夫婦などもハネムーン離婚から共白髪まで永く連れ添うカップルもあれば、バツイチ婚や不倫関係などバラエティーに富んでいる。別に嫌いでもないのに、疎遠になってしまったり、反対に何時も側にいるような人もいて、人間関係や絆ほど奇妙なものはない。

向こう三軒両隣、考えてみると近所などもご縁であり、転居した時などは、何でこの人達と巡り合うのか不思議である。

まあ、傘を片手に外に出れば、猫や犬にも会うし、変なオジサンやおばさんもいる。カラスもいれば、鳩もいて、実に面白い。

そんな出合いと別れの連続に、何か法則があるとしたら、勿論好き嫌いもあるが、それ以上に、私達の想いを超えたものがあるような気がしてならない。

仮に学校を例に取れば、卒業してしまえば、先ずよほどのことがない限り母校を訪れることはない。つまり、そこにはもう学ぶものがないからで、仮に恩師にちょくちょく会いに行くなら、それは恩師も弟子も共に学ぶものが残っているからで、共に学び終えれば、自然と離れていくものと思う。

そんな諸行無常な人生も晩節を迎え、孫たちも成長するにつれ、最近はそれなりに手が離れ、私の育爺としての学びもそろそろ終わりかなと思う。

まあ、別段意識する必要はないが、ご縁などと言うものは、「来るもの拒まず、去るもの追わず」で、原因や理屈を考えるより、この出会いから何が学べるか考えた方が理に叶っているように思う。

そんな中、腎臓病で食事から病院通いまで、いつも妻に世話してもらっているクーちゃんが、なぜか妻より私に纏わりつくから面白い。そんなクーちゃんの様子に妻は痛くご立腹で笑ってしまうが、多分クーちゃんと僕にはまだ学び足りないものがあるのだろう。種を超えた僕たちの愛は不滅なのです。

そんな想いに、今日も新たな出合いを信じて、心豊に学んでいこうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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