想い

出会いは一瞬、過ぎ去ればすべてに意味を失う。だから、悪戯に過去や未来を追わないで、すべてが益と為すように、その場を楽しむが利口である。

まあ、人生は一期一会、川の流れのように暮らすが一番だが、食べて通るにはそんな悠長なことは言っていられない。しかし、そんな中にも自分の気持ちに正直に生きていないと、意識が自分から離れ、出会いの意味も分からないままに、人生が終わってしまう。

まあ、娑婆に暮らす限り、それなりの処世術や金銭感覚も必要だが、それでもやはり損得抜きの処もないと後世に残るものは残せない。まあ、至近な例を上げれば、見栄を張り平気で嘘をつき、ゴールポストを勝手に動かし、不正行為や様々なロンダリングを繰り返す韓国では、未だにノーベル受賞者がいないことからも伺い知れる。

まあ、男も女も整形しまくり自己否定やコンプレックスを原動力に、不正行為までして、娘や息子の前途を優位なものにするタマネギおじさんが、時の法相に居座る韓国である。虚栄や虚像や体裁に生きることが普通なのだろう。私的にはそんな嘘で固め人生など全く意味がない。

まあ、何事も適当にこなすとプライドが持てなくなるし、嘘に生きれば息苦しくなるのが世の常で、なんと言っても正直に生きるに越したことはない。身も心も軽く楽に生きられるからである。

そんな訳で、今日は朝から自分だけにシンプルライフを楽しんでいるが、私の音楽ライブラリーも遂にパンク状態で、いよいよハードディスクの増設買い替えの時期を迎えている。しかし、考えてみれば、後10年生きても、たったの87,600時間である。買い替えてもどうかと思うが、最近は孫たちとの写真も多いから、孫たちがしっかりしていれば、何とか引き継いでくれるのではないかと思う。

そんな想いに、先週の土曜日に妻たちのイベントで聞いた瀧蓮太郎やシューベルトの名曲は、残されたものは紙一枚の楽譜に過ぎない。つくづく撮り溜めた膨大な写真や動画と見比べてしまうが、やはり、何事も愚直に真剣に想いをコンデンスして昇華することが大切なことを痛感する。

人が想いに生きる意味や、永遠なる想いへの憧れを、改めて痛感する次第である。

想いは果てしなく尽きることがない。オスカーワイルドの短編「Selfish Giant」ではないが、三日三晩寝ずに語り合っても、多分私達の想いは語り尽くせないだろう。そんな想いを一編の詩や旋律に、絵や写真に残せたなら、人生冥利に尽きるのではないかと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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