崩壊

検察官の定年延長を巡る法解釈の変更が国会で問題になっているが、人事院の給与局長の答弁から推し量ると、従来の法解釈を変更するように時の政権が押しつけたような形で、どうも釈然としない。

人生100年の時代だから、国家公務員法に適合しない検察官の定年が63から65歳になっても、業務に支障がなければ問題はないと思うが、それでもしっかりした法手続きによってことがなされなければ、法への信頼が失われる。

そんな国会審議の様子を見ると、国会の諸先生方は皆さんマスクをしておられないが大丈夫なのだろうか。

厚労省の指針によると、感染拡大を防ぐためにも人混みは避け、マスクの着用と手洗いの励行を推奨しているが、不足するマスクを意識してか、諸先生方はマスクをしておられない。オリンピック組織委員会の森会長はマスクをしないで最後まで頑張るそうだが、すし詰めの電車やバスに乗らないから言える言葉で、毎日そんな通勤電車に乗っている庶民からすれば、ジェスチャーとしか思えない言葉で笑ってしまう。

一方、中国の習近平国家主席がマスクを上下反対につけていたことや、武漢入りの中央政府の役人がマスクをつけていなかったことも、すでにワクチンが開発されていて支配層には行き届いているとの憶測が流れており、そんなことを思わせる国会風景である。

そんな中、今朝の新聞を開くと、子供への感染が相次いでいるが、特に子供はそこら中に座ったり触ったりして、手を舐めたり、目を擦ったりするから、心配である。

現在日本の感染者は105人(世界76,843人)であるが、コロナウィルスに対する危機管理意識について日本と外国とではずいぶんズレがある。

まあ、室内に沢山の人を呼び寄せる卒業式や入学式、結婚式やコンサート等が中止されているが、屋外のスポーツやイベントは密室ではないから、規模を縮小して実施したりすることも可能と思われるが、それでもコロナ感染を気にしながら、ビクビクしてイベントに参加しても面白くない。

そんな訳で、ネットを開けばコロナばかりで、さすがにうんざりする。しかし、理由も根拠もない自信から対処する相手ではない。気を抜かずに、正しく恐れてこそ、自分のためにも社会のためにもなるものと思う。

ところで、お隣韓国では新興宗教の集会で新たに204人が感染し死者も一人出ている。さらに、気象変動からアフリカ東部で発生したバッタの大群が中東を経てインドから中国にまで向かうらしく、中国ではこれまでもバッタによる被害が出ている。

その大群の勢力は幅60キロ以上にわたり、1日に150キロの長距離を行軍すると言うから、恐ろしい。巨大な黒い雲が空を覆いながら、農作物を食い尽くして移動するらしくその情景はまるでこの世の終わり、人々を震え上がらせると言うが、人工的に破壊と破滅が進む上に、自然界の崩壊まで重なるとなると、これこそ聖書にある受難の時を迎えているのかも知れない。

富裕層は地下シェルターに避難することも可能だが、私達庶民は受難の嵐が通り過ぎるまで耐えなくてはならない。神のみぞ知る結末であるが、果たして誰が生き残れるものか見ものである。

まあ、この世は欲望と快楽による悪霊に支配されているから、天空に至る救いの道は様々な誘惑と障害や障壁が覆い被さっており、辿り着くのは至難の業である。

多分、私は罪深いので辿り着けないと思うが、天国の虹の橋で、愛犬のサンデー君やTiffanyやクーちゃんが待っているとなると、何とか悔い改めて精進を重ね、天空に至る努力をせねば、再会を期して待ちわびるワンちゃん達に申し訳けない。

そんなわけで、今回のコロナ騒動は、東北大震災の時とはまた違った意味で、生きる意味を考えらせられた。暫くは正しく恐れながら、先人に生きる意味を学びながら、自室に蟄居していこうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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