同じ組でご不幸があり、ご高齢なので家族葬で済ませたいとの意向から、自宅にお別れに行ってきたが、ご商売ならともかく、普通の仕舞屋なら、跡目相続もないから、お金を掛けないで、家族葬で充分ではないかと思う。
気づくと、近所ではかなりの古参になってしまい、話せば誰しもが行く先不安を抱えている。大家族で子供や孫に看取られる時代は終わり、下手をすれば孤独死になるやも知れない。
そんなことから、先週妻のピアノ発表会で帰省した孫達とお墓参りした際に、おじいちゃんが死んだら、わんちゃんたちの遺骨も一緒にお墓に入れてくれるように頼んだ。動物のお骨と一緒はいけないと言うが、最後まで私を信頼してついてきたくれた生き物は、我がペットしかいない。言葉は話せないかったが、お互いの気持ちは通じ合っていたように思う。
残るは来年19歳を迎える愛犬のJanian兄ちゃんだけだが、共にオリンピックまで長生きする誓いを果たした仲なので、大分弱たれて厳しいが、大切に大切にして、1日でも長生きしてほしいと思う。
そんな訳で、生きる意味も自分を映す鏡も見失い、かすかな光に望みを託しハズレぱなしの毎日だが、惰性やマンネリでないことは自負できる。
そんな想いに、今あることに感謝して、新たな出会いを信じて頑張ろうと思う。
しかし、この人の英語の発音は素晴らしい。こんな感じで舌が動けばいいのだが、まあ仕方ない。垢抜けない発音で歌うしかないが、正に人生は「 How wonderful life is, you’re in the world.」である。頑張ろうと思う。