師走

昨日は朝方少し雨がぱらついていたが、頃合いを見計らって、風水と家相に肖り、離れの鬼門に当たる庭の片隅に「白い玉砂利」を敷き、柊の鉢植えを据え、玄関先のお正月飾りをした。

今日は朝から裏庭の枯れ草を焚き火しながら片付け、これで来年の運気はそこそこと期待したいが、家相や風水だけでは何も変わらない。やはり、何事も意欲と努力である。目的を持って頑張らねば、想いは叶わない。

まあ、痛めた腰のこともあるので、寒い内は冬眠して、節分頃になって世間が明るくなってきたら、徐々に活動を開始して、本格的にDIYに取り組んでみようと思う。

それにしても、とにかく徹底的に断捨離して何もない部屋に座っていると妙に心が落ち着く。お香を焼きながら石油ストーブの前で本を読んでいると、ストーブに乗せたヤカンからお湯の沸く音が聞こえる。誰からも邪魔されない自分だけの空間である。

ところで、そんな男のロマンをキャンピングカーであちこち旅して満喫している人もいるが、クルマの運転はくたびれるし、トイレや食事やお風呂となると、めんどうである。旅は電車やバスを使い、ホテルに宿泊するのがいい。余計なものを持たなければ、身軽だしストリートフォトやグルメや買い物やおしゃべりも自由だし、いろいろ気にしなくていい。

そんな訳で、旅や写真はコロナが収まるまでおわずけにして、今はできるだけものを持ち込まずに、昭和のあばら屋でMark Twainの世界に遊ぼうと思うが、省エネ経費削減から寒いのが難点である。これで、暖房機をいろいろ持ち込むと良さが打ち消されるところが、返す返しである。

時に、不必要を極端に削ぎ落とすミニマリストの気持ちも分かるが、それは裏を返せば、便利快適へのアンチテーゼであり、その根本的な意識に変わりはない。つまり、どちらを意識しても物に拘っている訳で、やはり、物事はバランスしかない。

つまり、健康であれば身体を意識しないように、心も落ち着き健全であれば、ものの過不足も不必要な心の変化も意識しないのではないだろうか。

世間一般、人に会えば挨拶をし、場の空気を読み、相手の立場や想いを読み取る知恵も、社会生活を営む上で大切だが、それもいき過ぎると管理社会になってしまい、うまくない。さしずめ「日本は疲れる」と言った言葉に当るが、まあ、何に疲れ(憑依)されているのか興味深いが、訳の分からぬ化け物に、疲れたなどと言って憑依されたら堪らない。疲れた(憑依)でなく、コロナでくたびれた程度で、今年は終わりたい。

そんな訳で、2020年も後数時間、ヨーロッパの状況を踏まえると日本の現状は奇跡である。すべてに感謝したいと思う。

明日から新たな気持ちで頑張ろうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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