無意味

「死は自分にとって意味がない。他者の死にこそ意味がある」と言う 東京大学名誉教授の 養老孟司先生の見解には、妙に説得力がある。

確かに、死んだら周りの人が困るだけで、自分は一向に困らないし、死んだことさえ分からない。しかし、身近な人や愛犬などのペットの死は、様々な想いが甦り、知らぬ間に自分の死を意識することになるようである。

一方、一ヶ谷駐屯地で割腹自殺した三島由紀夫氏の死などは、鮮烈に世間に生きることや死することの意味を想起させた訳で、自分の死を意味つけする意味からして、意味なく生き恥を晒して長生きするよりマシかもしれない。

まあ、 狂言師の野村萬斎の息子が「 お父さんどうして僕こんな事しなきゃなんないの?(狂言の稽古)」と言う問いに、「お父さんも分からない。」と応えたと言うが、 ある意味人生の本質をついている。

なぜ死ぬのか、なぜ 生きるのか皆目検討がつかないし、 腹減ったら食う、 疲れたら寝るの隠居生活に、 幸せと喜びと感謝はあれど、 意味があるとは思えない。

そんなことで、 今日は汚れているカーテンを洗濯し、離れの木戸の補修をするつもりだが、本職が見れば笑ってしまう造作に、金では買えぬ喜びと楽しみがある。

まあ、人生全く意味不明だが、憂いや悲しみにもまして、感謝や喜びに生きられる幸せに、自ら意味つけできぬ人生への計り知れない大自然の恩寵を改めて感じる。

全てに感謝したい。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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