「仏の顔も3度なでれば腹を立つ」と言う諺があるが、これまで大目に見てきたことも度重なれ只では済まされない。天罰が下るのでは…と思われるが、意外と悪い奴ほどシャーシャーと悪びれもせず暮らしてる。
まあ、人生何事も退き際が大切であるが、いちど甘い汁を吸うと、ズルズルズルズルと同じことを繰り返し、その場を適当に切り抜ける悪知恵には感心する。
まあ、普通の神経なら、二度と世間の表舞台には出てこない、いや出て来れないと思うが、特に悪徳や偽善を神仏の威を借り上手に振る舞う手合いの罪は重いと思う。
まあ、よくキリスト教で「悔い改める」などと言うが、古い自分を捨て去り、新たな自分にリインカーネーションするには、それこそ並大抵のことでは成し得ない訳で、事業に失敗して一度失った信用や信頼を取り戻すにはそれなりに何十年もの年月が掛かることは、ご案内の通りである。それほど長年染み付いた悪習慣や根性は抜け切れない訳で、さらに、人の弱みにつけ込んで利益誘導する宗教絡みなものになると、簡単には拭い切れない罪深いものがある。
しかし、そんな輩に限り、自分の素行を恥じるどころか、己の偽善を善行にすり替える浅知恵に長けており、現世に生きる人間の罪深さには唖然とする。
しかし、「人のなり見て我が振り直せ」と言う諺があるように、まさに自分も日々日常、煩悩の激しい炎に焼かれ、火宅に生きる存在であるからして、たまたま、そんな場面を傍目にすれば、お他人様のこととは言え、身につまされる思いがする。
しかし、物事は何としても避けて通れない当事者でない限り、気が進まぬ案件には首を突っ込まぬほうが、後先に禍根を残さなくて済むので、この種のことには関わり合いを持たない方が無難である。
尤も、私は既に隠居の身なので、禍根を残す世間の難問難題に遭遇することもなく、難しい問題は大抵避けて通れるので、よほどのことがない限り、そんなゴタゴタに巻き込まれることがない。
まあ、こんなブログを書いたのは、知人から最近聞き及んだ話に触発されたからで、今回の当事者もさぞかし大変な想いをしているものと思うが、コロナで世相が荒む中、くれぐれも一定の距離を置き、よく人を観てから親しくなるのが無難である。
そんなことで、昨日は本格的な家の解体作業の下準備「防塵用のシートを貼る」作業だったので、私の出番もなく、ちょっと物足らない1日だった。
しかし、今日は朝から天気が良い。多分解体作業もかなり進むものと思う。予定では今月中にメドをつけたいらしいので、楽しみである。
ところで、今日はこんな簡単レシピを試してみたい。すべてに感謝したい。