日曜日

金曜日に職人の1人が土曜日も作業をするようなことを言っていたので、期待して待っていたが、やはり土曜日曜は周囲に騒音が響くのでお休みするらしく、結果的には良かったと思う。

それにしても、昨日も途中で雨がパラパラ降り出し、連日冴えない日が続く。パラリンピックも間近に迫り、連日5000人を超える感染拡大の中、学童を動員して競技観戦させる「学校連携観戦プログラム」も区や自治体の判断に任せているようだが、あえて自粛と相反する計画を実施するメリットはない。ビジョンなき政権のリーダーシップの劣化には、不審や不安が募るばかり、権威も権力も地に堕ちた感がある。

まあ、コロナウィルスの蔓延で、これまで私たちの社会を支えてきた様々な概念や通念が皆崩壊して、中国のような一党独裁政権は言うに及ばず、MMT理論や異次元の金融緩和策など1連の貨幣経済対策から垣間見える資本主義体制の信頼性の喪失から、私たちの生活基盤は根底から覆されている訳で、「資本主義はカルト宗教」であるとの話も飛び出し、変化や多様性、不確実性の論理に、もはや人間界に信じるに値するものは皆無と言った「仏門」の境地に至った感がある。

そんな退廃的な世相に、明日への夢や希望をいかにして抱いて、現実を実あるものにしていくかが私たちの今日的な課題である。

特に、信じるものを全て失った今日、逆説的に言えば「信じることを手放すこと」で、不安や恐れから逃れられるような気がする訳で、何事も過大に信じたり頼みにしないで、全て成り行きの中にも、これだけは信じても頼りにしても大丈夫といった現実的な確信を、1つでも持てれば大満足である。

要するに、近代文明はあまりにも、安全、安心、便利、快適すぎた訳で、それが長じて、時には怠け癖がついてしまい、面倒がらずに、なければないなりに物事を処理していく気力を失ってしまった感がある。

そんな中、あえて週末にキャンプに行って不便な生活を経験する家族もあったりして、世間はつくづく広いと思う。

まあ、私はコロナのおかげで、新たにガーデニングや木工と言った「暇潰し」を知った訳だが、先日も家の解体作業で、私のDIY工具が役に立った。しかも、プロ用の工具でなくとも創意工夫次第で結構なものが処理できることが実証されて、私的には大満足である。

そんなことで、来週からは本格的に解体作業が始まるので、私も目障りにならぬ程度にお手伝いして、自分の経験知を高めていこうと思う。

すべてに感謝したい。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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