ご縁

今回のオミクロン株は感染力が半端じゃなく、弱毒化し重症化しないまでも、自粛モードが再燃して嫌な雰囲気である。明るい兆しが見えはじめた矢先、社会活動にも影響が出始め、今後の動向が気になる。

とにかく、限られた関係性の中では、得るものも得られないし進歩や発展もない。自粛が長引けば長引くほど惰性とマンネリの中に埋没してしまいそうで、困ったものである。オンラインサロンなどもあるが、やはり何処か一味足らない感じがして興味が薄れる。やはり、リアルな出会いの場がないと、何か満たされないものがある。

まあ、幸せは人が運んでくると言うから、新たな交わりがなければ、社会活動も停滞するのが当然で、新年度の人事異動などで目先がぱっと開けるような感覚を覚えるのも、新規性や変化の中に新たなものを期待するからである。その意味から、人的リソースの入れ替えがスムーズにいかない硬直化した組織などの将来性は暗いと言える。

ところで、コロナを契機に訪れた「非接触型の新時代」では、AIやロボット技術が急速に進化進展して、社会の様々な分野で雇用がAIやロボットに置き代わっていくようで、私の地元のスーパーでも自動レジが普及し始め、慣れればそれなりに便利である。

それでも、昨年の暮れに、スーパーの駐車場で、年末の大売り出しをやっていて、昔のレジスターで店の店員が現金販売をしていたが、箱入りのサツマイモを買いながら、店員との何気ない会話に何故か新鮮なものを感じて楽しかった。そんなさり気ない交わりの場もなくなってしまうと思うと寂しい限りである。

しかしながら、考えてみれば、世界は私たちの想いよって形作られていくものだから、便利なAIや機械に真似できない感性や感覚や技能などを身につけ、AIやロボットと共存していけば良いわけで、私たちの未来は如何にして、AIに使われるのではなく、AIを使いこなすかが課題となる。

一説に、ポストコロナでは、データ集積型の論理的定型業務はAIの方が遥かに人間より優れていることから、単純労務はもちろん、専門性が高くも定型化されたお役所仕事や医者や弁護士の仕事でさえ安泰ではないらしい。

まあ、全くなくなるとは思えないが、お役所や警察や裁判所でやっていることは、自由裁量権の幅が少なく誰がやっても同じなので、今日のような硬直した組織運営から抜け出せないなら、AIの方が遥かに優れておりコスパの良い仕事をすると思う。

よって、如何なる業種もそこに何らかの人間的な要素が絡まない限り、それなりのサービスが成り立たなくなる訳で、料理で言えば一味違うものがないと、仮に高度な専門知識を有する業種であっても、これからの時代は生き延びていけないような気がする。なぜなら、大方の業務はAIやロボットで処理対応できるからである。

そんなことから、新時代を生き抜くには、如何にして本来の人間性に目覚め、感覚や感性を伸ばしていくかが大きなガキとなる訳で、そういったものは、独創性を欠く商業ベースの学習プログラムではとても得られるはずもなく、自分に目覚め個性の延長上にあるところに課題がある。

まぁ、簡単に言ってしまえば、自然との触れ合い、自分も自然の一員と言う認識を持てるかどうかがカギになるわけで、ガーデニングなどもホームセンターのマニュアル通りやっていては、そんな感覚や感性は身に付かない。

そんな訳で、何もかもあちこちのタイルが次々とこぼれ落ちていく年齢だが、それでも気づいたら拾い上げて補修して、大地と天空に想いをつなげて元気をもらい、今日も精一杯生きていこうと思う。

すべてに感謝したい。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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