枕が合わない。いろんな枕を試してみたが、一時はよくても長くは続かない。結局、懇意にしている接骨院の先生による「バスタオル」を畳んで枕にして寝るのが、現時点てはベストチョイスである。
まあ、バスタオルだから、頻繁に洗えるから清潔だし、カバーもいらない。しかし、そんな中にも、頸に違和感があって眠れない夜もあり困ったものである。
そんな時は鎮痛剤に頼る訳だが、最近はかなり常態化して良くない。依然なら多少の痛みなら我慢したが、最近はそれが出来ない。いや我慢したくなくなった。それより、少しでも痛みを緩和して、やりたいことをやりたいと思う。
そんなことで、昨夜はけっして快適な寝心地ではなかったが、起きてしまえば実に爽快、敢えて言えば、寝るのを惜しんで労苦に励めと云わんばかりの身体のサインに、何かの前触れ予兆ではないかと憚る昨今である。
一説にこの秋は大地震があるように謂われるが、富士山でも爆発するのだろうか?
まあ、欲に塗みれ火宅の世情に、安き安楽安住の地は望む術もないが、それでも心身の清潔からお掃除を徹して少しでも住みよい我が家とし、鈴の音と鏡とお香の香りで龍神さまを迎えし、その背に乗って遊びたいと思うのである。
憚れば単なる痴呆老人の戯言、見聞きに値しない。それでも書き綴るのは、己の存在の証しなのだろう。
リアルな世界がダメならスマホでクラウドの世界で繋がりたい、想いを共にしたいと思う自分がいる。まさに、時代はスピリチュアル、霊的なものへとシフトしていくのだろうか?
そんな想いに、今日も心身を浄め、成り行き生業の中に、己の魂の成長をひたすら願い、神仏の御心に叶なう1日でありたいと思う。
すべてに感謝したい。