…瞬彩

疫病、感染症を恐れるあまり、人と人の交わりが失われ、関係性や絆が断たれる中、ひと昔前の「変化と多様性と言った寛容な言葉」では最早どうにもならない対立と分裂、分断の時代を迎えた感じがするが、こんなことで私達は幸せになれるのだろうか?

とにかく、私達の意識が日頃のコミュニケーションではなく、大手メディアやマスコミからの一方的なプロパガンダによって形成されていく状況下に、一部の勢力に都合のよい意識への摩り替えや形成が進んでいるように思えてならない。

感染力は強くも死に至ることは普通の感冒と変わらないオミクロン株に、これだけ社会が反応し自粛しなければならないものか、疑問に思う。

まあ、3年になる長期に亘って社会活動が自粛されれば、社会そのものの形も中身も大きく変化し変容し、交わりを断たれた私達は良くも悪くも孤立と孤独の中に、新たな拠り所を求めなくてはならなくなる。

時に、旧統一教会や創価学会を待たずして、殆どの宗教団体や組織の実態が明らかになる中、つくづく人間の罪深さを実感する。まあ、どんなに精進しても、やはり人間は人間、欲得から離れ神や仏にはなれない訳で、蛇の生殺しのような自由と言う苦悩の中に、時折垣間見える微かな希みを頼りに生きているのが現実である。

そんな想いに、庭の花木や畑の素菜に話し掛け救いを求める日々日常に、種を超えた安楽安住の定めを俯瞰するに至り、ついに痴呆の領域に脚を踏み入れた気がする。

それにしても、私的には「愛の本質も知らず」して、この世を去るのも心許ない訳で、天地神明の力を頼りに、オミクロン下にあっても、納得いく晩節を過ごしたいと思う。

とにかく、想いこそすべて、人は想いに生きる。理性と本能の狭間に、異性や種を超える存在への憧れや理りなき想いに、ただひたすら感謝したいと思う。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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