街は相変わらず静かだが、高齢化のためか救急車のサイレンが鳴り響かぬ日はない。成り行きは全く不透明、NYでは平均年収が1200万円超えと言うから、日本経済はお花畑の中に完全に出遅れてしまった訳で、戦争にでもなれば、戦時中そこそこの生活に逆戻りするとも限らない。
それも未だにアメリカの占領下にある日本だから仕方ないが、それを気づかせないのは正に戦後の民主愚民教育や思想統制下のプロパガンダにある訳で、嘘偽りの幻想や妄想の中に生きているのが今の私達である。
まあ、創られた意識が骨の髄まで染み込み、人様の言いなりに操られているのも気づかずに困ったものである。まあ、ここまで来れば、日本の再生復活は無理だが、日本の超エリート階層が魂まで外国に売り飛ばしている現実からして、世界の権力構造が「坂本龍馬や薩長の下級武士を工作員に政権転覆」を謀り今日に至るロードマップの行き着くところは、巧みに謀略暗躍を凝らし、日本民族殲滅に至らしめるところにあるのかも知れない。
まあ、故三島由紀夫氏の憂国の士も行きすぎの感もあるが、いつも危険と隣り合わせていることはいつの世も変わりはない訳で、何事も人頼みせず自分で考え自分で切り開いていく意識と意欲を如何に持ち続けるかが、神仏の御心に叶う幸せへの秘訣·道標ではないかと思う。
まあ、同じ行動にあっても、そんな意識に目覚めているか否かでは、人生の豊かさが段違いな訳で、それは正に、質素誉れを旨に穢れなき品格に生きる美学にあるように思う。
まあ、便利グッズに囲まれて暮らすも楽しいが、断捨離ミニマリストの生活も落ち着いていいもので、私的には飾り気のない何も置かない部屋に休む方が気が休まる。
そんな訳で、今夜も夜風を友に断捨離し尽くした何もない部屋に心静かに休みたいと思う。
改めて、成り行きに己の存在を証しする難しさを痛感するが、唯ひたすら今あることに感謝したい。